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川端康成 掌の小説


 ノーベル賞作家川端康成の、掌編小説122編を550ページにわたって収めた一冊。10日くらいかかってやっと読み終わった。

 122編で550ページという事は、一作平均4.5ページ。長いものでも10ページくらいの作品がずらりと並んでいるのだが、それがいずれも、とにかく内容が濃い。どの作品をとっても普通の短編と変わらないほどの重量感がある。この作家らしい強烈な美意識がどの作品からも立ち上ってきて息苦しいまでの密度だ。

 なにしろ122編もあるので印象に残った作品を挙げるだけでも大変である。たった2ページの、書簡の形で書かれた「金糸雀(カナリヤ)」、死んだ妻のこわばった死に顔を、思わず和らげてやろうとする「死顔の出来事」、売られていく娘に、恋人との一夜を許す母を描いた「有難う」、愛と死の奇妙なすれ違い「霊柩車」、少女と姉の愛人の盲人「盲目と少女」、少年と少女の幼い愛を描く「雨傘」、死んだ姉と恩師の思い出を語って冷たいイメージがほとばしる「足袋」、たった4ページの作品なのに、あたかも長編の冒頭のような強烈な情景描写を持つ「秋の雨」…こうやって一つ一つ挙げていくときりがない。

 読んでいくと、いくつかのパターンの作品があることに気づく。まず作者の思い出話のような私小説風の作品群がある。 これには少年時代の初恋の思い出をもとにしたものと、作家である「私」の目で見たものがある。「伊豆の踊り子」を思わせる、田舎の温泉宿などを舞台にした作品群、そしてこの作家独特の視点で女性を描写した作品群がある。夢とか死後の世界をテーマにした幻想的な作品もあり、連れ立って歩く老人と若い女を描いた異色の作品「不死」にはそこに描かれた死の幻想が怪しい美しさを放って魅力的である。

 川端のすべてがこの一冊に凝集している、と言われることがある。たしかにそうだ。この作家の魅力が詰まった素晴らしいショウケース的な一冊である事は間違いないと思う。だが、この作家をはじめて読む人には、少なくとも私は勧めない。名作と言われる「伊豆の踊り子」とか「雪国」あたりの名作は読んでから読むほうがいい。その方がそれらの作品への理解が深まるに違いないからである。また1作が短い掌編小説だからと思って軽く見ると痛い目にあう。上にも書いたようにそれぞれの作品がかなりの重量感を持っていて、決して軽い読み物ではないからだ。

 川端は詩を書きたくて書けず、その代わりに掌編小説を書き散らしたのだそうだ。この作品集をさして三島由紀夫が「川端の詩集」と評したらしい。言わんとする事は分からなくもないが、作家たるものがどうしてそういう的外れな表現をするのだろう。いかに詩的なものであろうと、小説は小説なのだ。ここにあるのは詩という抽象化された世界とは一味違う、小説と言う形のなかで完成され凝縮した芸術作品である。
.29 2008 日本文学 comment6 trackback1

comment

なにかのアンソロジーで読んだ「雨傘」、いまでも覚えてます。
そんなレベルが122篇もあるとなると、そりゃあ大変ですね。

高校生のとき、「雪国」の良さがまったく分からなくて(あの主人公の男性がダメでした)敬遠してましたが、もう一度読んでみたくなりました。
2008.11.30 22:50 | URL | ぐら #- [edit]
いや~、本文にも書きましたが、これは本当に重量感たっぷりの掌編集でした。レベル高すぎです。
今年は日本の作品を例年になくたくさん読みましたが、ろくなものが無くなかばあきらめ気味だったのですが、先日の「家守綺譚」とこれで日本文学の面目を保ってくれた感があります。

「雪国」ね。私も昔読んだ時は全然ピンと来なくて。あれも他のを少し読んでからのほうがいいのかも。この作家の作品は日本語が怪しい渋い美しさを放ち独特の魅力があると思います。
2008.12.01 01:13 | URL | piaa #- [edit]
この本、20代半ばで手にしたのですが、あっさり挫折した苦い記憶が(汗)。
当時、フランス人とたまたま話をする機会があって(共通言語=ドイツ語で)、バッグから文庫本「掌の小説」を出してきたんですよ。 川端康成に心酔していて、フランス語に訳されたものはすべて読んだとのこと。 「一番好きなのがこれ」と言って、読めない日本語版をうっとり見つめていたんですよ。 うわわ、そんなの読んでないよ…外人に負けた!って、あわてて買って読もうとしたんですけどね、読めなかった(笑)。
すごく短いのに読み通せないのが我ながら不思議でしたが、作品のレベルが高すぎてついていけなかったんですね、たぶん。

川端康成はストーリーではなくて、日本語の言葉がもつ情緒を味わう文学だなあ…と思っています。 でも、改めて考えてみると、あのフランス人はフランス語訳を読んでも深く感じるものがあったんだから…??
2008.12.01 23:19 | URL | vogel #9JN9NMwM [edit]
挫折してしまうのはよく分かります。掌編小説というと軽いものを思い浮かべますが、これはそれぞれの作品が非常にレベルが高く、重量感のあるものなので、中途半端な気持ちで読み出すとはじかれそうですもんね。

翻訳でもなんとなく言葉の魅力が通じる時があるのかもしれませんね。私たちが翻訳で触れたブローティガンやガルシア・マルケスの文体に魅力を感じることがあるように。文学作品って不思議です。
2008.12.02 00:23 | URL | piaa #- [edit]
はじめまして、
あの、、、『掌の小説』の中で母の眼という作品について聞きたいことがありまして、
何の意味かなかなか分かりませんね。ですので、あなたの考えがほしいんです。
たとえば、このタイトルはなぜ母の眼なのか。
最後の部分に書いてる「子守女の顔に何と明るい喜びだ。」ここの意味は何だと思ってますか。
2010.06.20 13:47 | URL | スル #L1x6umnE [edit]
川端の掌編は情景だけを描いた作品が結構多く、「母の眼」も全く前後の人間関係が描かれていないのでなぜ「子守女の顔に何と明るい喜び」が浮かぶのか確かに全くわかりません。
それを、あるいは「母の眼」という本筋と関係のなさそうなタイトルも含め、わからないままにして読んでも、文章の美しさを楽しむ事はできますし、だからこそこれは『文学』なのではないでしょうか。
逆に言うと、意味など考えて読んでいてはこの「掌の小説」という作品集自体がつまらないものになってしまうのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
2010.06.21 01:54 | URL | piaa #- [edit]

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