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フランク・ヴェデキント ミネハハ


 これはドイツの劇作家ヴェキデントが1903年に書いた作品。
以前見た、ルシール・アザリロヴィック監督の仏・ベルギー合作映画「エコール」という映画の原作である。映画の方があまりにも意味不明だったので、なにか謎ときめいたものが書かれているかと思って読んでみた。

 結論から言うと、この作品は映画と同様、この「学校」がなんなのか、ヒロインはどこからやってきてどこへ去っていくのか、そういったことが全く、なんら説明されない。物語はほぼ映画と同じだ。違うのは、ヒロインのヒダラが「学校」にやってくる前が多少描かれている事で、彼女はそこでも男の子も交えた寄宿舎生活のような生活を送っていた事が明かされる。それから女の子だけの「学校」に映画同様棺のような箱に入れられてやってくる。ヒロインで語り手のヒダラは、50年くらい後になってから自分の少女時代を回想する形でこの作品をつづったと言う設定になっていて、幼いヒダラは自分が置かれている状態がどういうことなのか全くわかっていない。小説ではヒダラが年月をかけてだんだん成長し、やがて「学校」を出るところまでが描かれる。映画では視点がだんだん年長の少女へと移っていくが、それは撮影に制約のある映画の場合、原作と同じように成長していく少女を追うわけにはいかなかったからだ。その点を除けばほとんど「エコール」は原作に忠実な映画化だといえる。

 非常に謎めいた内容で、その謎めいた部分こそがこの作品の魅力である。独特の描写の美しさを持っているので映像作家を刺激する作品である事は間違いない。だからこそこれを原作にした「エコール」と「ミネハハ・秘密の森の少女たち」といった映画作品が作られているのだろう。だが、今の目で見ると一個の小説としてはとても荒削りでとても成功した作品とはいえない。しかしこのような前衛的で抽象的、ある意味とても現代的な作品が1903年に書かれていたというのは、ちょっとした驚きである。
 雰囲気やプロットに似たところがあり、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」との類似性を感じる方も多いだろうと思う。

 ところで翻訳者として、女優の市川実和子氏がクレジットされているが、あとがきによると戸田史子氏の下訳があって、それを市川氏がアレンジしたものらしい。この表記は紛らわしいし、なぜ市川実和子氏の名前を全面に出す必要があったのだろう。話題性のため?それであっても、せめて共訳とすべきだと思う。
 明らかな誤訳もある。103ページの「ちいさな服をひとつずつ渡した」である。これは主人公のヒダラに初潮が訪れたことを暗示しそれを処理するものを渡すシーンなので、「小さな布を…」でなければいけないと思う。全体には雰囲気のあるいい訳だけに、ここは少し残念。
.21 2008 ドイツ文学 comment0 trackback0

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