C.N.アディーチェ アメリカにいる、きみ

2008-04-12-Sat-23:15

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェはナイジェリア出身アメリカ在住の、1977年生まれの女性作家。
 1977年生まれという事は、今年31歳と非常に若い作家だが、すでに長編小説をふたつ発表しており、どちらも非常に高い評価を受けているらしい。これはそのアディーチェの本邦初紹介となる短編集である。

 アフリカの小説というと、アフリカの音楽同様プリミティブなものを思い浮かべる人も多いだろう。そういうのは同じナイジェリアのチュツオーラあたりに任せておいて、こちらにはプリミティブな民話的要素などは全く排して、ナイジェリアという国の現実を読者に突きつける。

 表題作「アメリカにいる、きみ」はアメリカに移住した女性の生活ぶりを追って、二人称で書かれたかなり斬新な印象の作品になっている。続く「アメリカ大使館」は難民ビザを申請するために米大使館に並ぶ女性を描いた作品で、そこで彼女の経験した残酷な現実がフラッシュバックのように語られ、読者はその悲惨さに愕然とする。そしてこの作品の幕切れでの彼女の行動は希望なのか、諦念なのか。
 この作品集の中でも白眉の一作、「スカーフ-ひそかな経験」はイスラム教徒とキリスト教徒の対立から暴動へ発展した町の中で、ある無人の商店に逃げ込んだキリスト教徒の女性とイスラム教徒の女性とのふれあいを描いた作品である。と、こう書くとすごく優しい心温まる作品のように思えるかもしれないが、この国の現実はそんなに甘くはない。彼女が後で経験する恐ろしい体験をやはりフラッシュバックのように描きこむ事で、この出会いによってもたらされたこの二人の女性の間に感じえた友情が、出会い方によっては紙一重で殺しあわねばならなかったかもしれない現実を読者の前にそれとなく提示して見せるのである。
 他にもナイジェリアの酷薄な内情を、個人的なレベルからあぶり出していくかのような「半分のぼった黄色い太陽」「ゴースト」といった作品があるかと思えば、アフリカからアメリカなどに移住した人々の生活ぶりを淡々と描いた「新しい夫」「イミテーション」のような作品もある。特に「新しい夫」はアフリカ人としてのアイデンティティを失ってもアメリカ人としての生活を強いる夫に怒りを覚えながらも、家を出ることができない主人公を通してアフリカ移民の屈辱的な暮らしを描き出して秀逸。
「ここでは女性がバスを運転する」は、この作品集で唯一、心温まるエピソード。
 最後の「ママ・ンクウの神様」はこれまで私小説的な印象が強い作品が多い中、非常に小説らしくまとめた素晴らしい短編である。

 この作品集には訳者が独自に選んだ10作の短編が収録されていて、上に紹介したように、そのどれもが素晴らしい傑作である。短編集でここまでレベルが高いものはめったにないのではないだろうか。
 またこれを読みながら、日本の作家の作品っていったいなんなのだろう、と考えた。…例えば先日読んだ「鹿男あをによし」とか…まあこれはちょっとラノベふうなので比較する事自体無理かもしれないが…では某ノーベル賞作家の「治療塔」とかはどうだろう…全く作品に対する気持ちの入り方、作品の持つ切実さが違うのではないのだろうか。この切実さという点で、日本の作家は海外の作家に大きく水をあけられているような気がする。そんなことにも気づかせてくれた、アディーチェ。早く他の作品も翻訳して欲しいものだ。

COMMENT



2008-04-13-Sun-21:52
アフリカ小説の新しい風ですよね〜。
作品の質が高くて、「ここでは女性がバスを運転する」がもの足りなく感じたほどです。

>これを読みながら、日本の作家の作品っていったいなんなのだろう、と考えた。
まったく同感です。
おもしろい作品はあっても、じっくり読ませるものは少ないような・・・。
タイ出身作家の『観光』という短篇集を読んだときも、「日本の小説、大丈夫か?」と思ってしまいました。

2008-04-13-Sun-23:51
このアディーチェの短編、「スカーフ-ひそかな経験」や「ゴースト」などでは恐ろしく残酷な出来事を直接には描かない事で、そういった事がとても恐ろしく思えるという効果を上げていると思います。
日本の作家は、平和な日本に住んで平和な日本人の読者を想定して書かざるを得ないので、そんなに深刻な作品を書く事ができないのかもしれません。文学に対するアプローチの質が全く違うので、同じ線で考えるのはちょっと無理があったかもしれませんね。

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