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アーネスト・ヘミングウェイ 日はまた昇る


 これは1926年発表のヘミングウェイのデヴュー作。
私が読んだのは写真の大久保康雄訳の新潮文庫だが、現在の新潮文庫のカタログには高見浩訳が載っていて、どうやら置き換わっているようである。


 よく米文学を語るものの本などで、ヘミングウェイとフィッツジェラルドを並べて第1次大戦で青春を台無しにされた世代という意味の「ロスト・ジェネレーション」の作家とされている事がある。
 実は私は「ヘミングウェイとフィッツジェラルド?全然違うじゃん。一緒くたにするなよ」と思っていた。「武器よさらば」や「誰がために鐘は鳴る」などの、戦争を描いた、まあちょっとメロドラマ風ではあるが骨太でハードボイルド的な作風のヘミングウェイと、フィッツジェラルドが「華麗なるギャツビー」で描いた退嬰的な世界のどこが共通していると言うのか理解できなかったが、この作品を読んでその謎が解けた。

 この作品の主人公たちは、「ギャツビー」の登場人物たちと同じように退嬰的である。主人公ジェイクは戦争で受けた傷からか性的不能になっている。その彼と愛し合っている女性ブレットは、ジェイクが性的不能になったせいなのか、それともそれ以前からそうなのか男漁りをしている。ブレットはジェイクの友人達と次々に性的な関係を持つのだ。
 というわけで空虚な心をセックスで満たそうとして満たされない主人公達を描く、いかにも絵に描いたようなロスト・ジェネレーション小説なのである。…もうはっきり言って、これは全然私の好みではないストーリーだ。しかも「ギャツビー」みたいな事件が起こるでもない。それでいて読んでいて退屈しないのはさすがだ。

 私が「ギャツビー」が苦手な点は、まず第一にデイジーというヒロインがバカで嫌いなのだが、彼女が自分のやっていることについて深く考えてもいない事などよりも、作者がデイジーに、反省であれ逆ギレであれ、あの事件について何かを語らせる機会すら与えなかった事である。この一点で「ギャツビー」は作品として失敗だとさえ思っている。この結果デイジーという女性は読者にとって徹頭徹尾ただのバカ女としてしか認識されないのだ。

 それに対して、ブレットという女性は、やることはデイジーよりもはるかに淫蕩でありながら、それを止められない自分に嫌悪感を抱いている事を作中のセリフではっきりと表明している。この「日はまた昇る」という作品はすべてこのブレットを中心に据えた物語で、この女性のまわりに彼女との距離感が様々なジェイクの友人達数人を配して彼女とジェイクの不毛な愛情を立体的に描き出して見せる。その見せ方が見事なので、どうもこういうメロドラマは好きじゃないんだよな~、と思う私のような読者もついついページを繰ってしまう。この作家の作品の中では傑作とはいえないかもしれないが、さすがヘミングウェイ、技ありの一冊。

 というわけで、「ギャツビー」がダメだった人にもぜひ。
.14 2008 北米文学 comment0 trackback0

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