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角野栄子 魔女の宅急便 キキと新しい魔法


 というわけで第1巻から引き続き読んでみた第2巻。見習い魔女キキのコリコの町での二年目の生活を描く。

 第1巻と比べると、エピソードの質が大幅アップしていて物語が深みを増している。アニメや映画にあったキキが飛べなくなるくだりの原型もこの巻にあるのだが、完全に飛べなくなるのではなく、早く飛んだり、こまかいコントロールができなくなる程度である。その原因もとんぼがミミと一緒にアイスクリームを食べているところを目撃してもやもやしていたところに、サキに黒い手紙を運ぶのを頼まれて呪いの手紙と勘違いされてしまうというトラブルが加わって、という感じである。だから原作には「恋愛」と「社会」のどちらの要素もあったわけだ。アニメと映画はそれぞれ違う方にスポットを当てていたわけだとわかった。

 ここではキキは飛べなくなったわけではないから当然だが、アニメや映画ほどは落ち込まずに、急がない時は歩いてみることにする。そこで「さんぽを運ぶ」のエピソードになるのだが、これは入院中の帽子屋の老人から、愛用の杖を持って散歩をしてほしいという依頼を受けたキキが、帽子屋さんが毎日さんぽしていたコースを杖を持って歩いて、そこでいくつかの出会いをするエピソード。  歩いてこそ、飛んでいてはわからないたくさんの出会いがあることを語るエピソードで、現代人に対するちょっとした問題提議的なエピソードなのだが、ラストでキキが、帽子屋の知り合いの引きこもりがちの女の子ウミと一緒に杖を返しに病院に帽子屋さんを訪ねると、看護婦が彼は旅に出たと言う。呆然としたキキは帽子屋のおなじみの場所、公園の楠の木の前のベンチに座る。

作者は『おじいさんは毎日さんぽをしながら、いろいろなもののこしていったみたい、とキキは思いました。もしかしたら、キキにそれを見せてくれたのかもしれない。キキはふーっと息をついて、空を見上げました』とあっさりとこのエピソードを閉じているが、これはもちろん、帽子屋は亡くなったと考えるのが妥当で、『世間を歩いて見る』事をダイイング・メッセージとして飛んでばかりのキキと引きこもりがちのウミに伝えたのだ。
 だがそのことをこの作品は大きな声で語らない。読者が子どもなら、帽子屋が死んだことに気づかないかもしれない。でもそんな幼い読者もいつかおとなになってもう一度読めば、このエピソードに秘められたものに気づくに違いない。そこまで考えてこのエピソードを挟んでおいたのだろう。

 他のエピソードでも思春期の少女の心理を非常に巧みに捉えた描写が見事で、それが全然嫌らしく感じさせないところが素晴らしい。児童文学として非常にレベルの高い作品だと思う。
 ただこの巻での最後に、母の薬作りの魔法を習得しようと決心するくだりがちょっとあっさりしすぎのような気もする。まあ他に習える魔法がないわけだけど。
.06 2015 日本文学 comment0 trackback(-)

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