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武田泰淳 森と湖のまつり

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 アイヌ問題を正面から捉えた武田泰淳の長編小説。写真は以前新潮文庫から出ていたときのもの。現在は悪名高い講談社文芸文庫から出ているようだ。私は「筑摩現代文学大系 第67集」という全集もので読んだ。

 アイヌは北海道や樺太などに住んでいた先住民族。「ユーカラ」という神話大系を持ち、熊祭り(イヨマンテ)をはじめとする独自の文化を築いていたが、北海道や北方領土に日本人が進出してきた明治以降日本人によって「文明化」され、その独自文化は急速に失われた。
 この小説はそんなアイヌ文化を守り復興させようとする日本人学者池と、アイヌをテーマに絵を描こうと彼に従ってやって来た画家の佐伯雪子、そしてアイヌ青年でアイヌの民族自決を唱える風森一太郎の3人を軸にした作品である。

 というふうに書くとかなりシンプルな内容なように思えるのだが、読んでみるとそう一筋縄ではいかない。なにしろこの三人の主要な登場人物の中で、池と一太郎は師弟関係にあると繰り返し述べられているのに、かなり長い作品であるにも関わらず作品中でこの二人はは一度も顔を合わせない。作品全体の主人公である雪子が二人と個別に行動を共にしたり、その周辺を歩き回るだけである。
 しかもこの雪子という女性が、なんとも感情移入のしにくい、その時代の基準で言えばふしだらな、生臭くて行き当たりばったりの女性に描かれているので、作品自体になんだか突き放した印象を受けてしまう。池や一太郎にしても、そのほかの登場人物たちも皆、どう考えてもアイヌの「民族自決」など信じてはいないと思え、池が中心人物として運営(?)している『アイヌ統一委員会』なるものの活動の趣旨すら明らかにされないのだから、この作品で語られている問題意識自体が作り物っぽい、というかそんな『問題』自体が実在しているのかどうかさえ怪しいという印象になってしまう。
 さらに、一太郎と雪子、池とツル子といった男女の関係が、アイヌ云々というような社会的な問題を差し置いて物語の一番の推進力になってしまっているのもどうにも気持ち悪い。もちろんそこはアイヌ神話の『イレスサポ(育ての姉)』と絡めて語られるわけではあるが…

 それでも、アイヌとその問題についてこれほど正面から描いた小説は他に全くない。その一点だけでも価値のある作品だとは言えるだろう。すでに滅んで、誰もそのことを語らない文明について書くというのは、これほど難しいことなのだ。
 それでも書かねばならないのは、作家という人種の性(さが)なのだろう。
.08 2015 日本文学 comment0 trackback(-)

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