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福永武彦 「死の島」その3


 「死の島」は既に名作として高い評価を受けている作品で、普通であれば私などがいまさら色々述べることなどないと思うのだが、ネットでの評価などを見ていると私が思いつきもしないような感想を述べている方もいらっしゃる。この作品そのものがかなり謎を孕んだまま終わっているためでもあろう。その辺も踏まえて総合的な私の解釈を述べて「死の島」再読を終えたいと思う。

 まず、ネットを巡回していて気になったのはあるブログの記事だ。このブログほどこの「死の島」という作品を酷評した文章は他で見たことがない。
 このブログ主の方は一言で言えばこの作品を、構成はすごいけど書かれている内容は稚拙、と断じている。
 確かに私も「レダ」で相馬にも骸骨が見えてしまうシーンはちょっとやりすぎだと思うし、相馬という主人公が比較的軽い男で、素子と綾子の二人とも愛してしまう優柔不断な主人公であることで作品に対して否定的な気持ちが起こる気持ちはわからないでもないのだが、この「小説の致命的欠陥は、原爆で地獄を体験した素子はともかく、家出して結婚した男との新生活が失敗した程度の綾子が自殺する理由が見い出せない」事、というのはどうだろう。

 綾子がなぜ死のうとまでしたのか、それが理解できなくてはこの作品を読んだことにはならない。綾子は自分の「或る男」への愛が消えた時のことを「今までは深い豊かな海だったのよ、それが見る見るうちに汐が引くとあとには岩だらけの砂浜が残って、気味の悪い鳥の死骸とか、ぬるぬるした海藻とか、砕けた貝殻とかしか残っていないの。なぜそんなことになったのか(中略)あたしにはどうしてもわけがわからない」と素子に語っている(内部L)。綾子は、自分の「愛」があっという間に消え去って、もはや戻ることがないという事そのものに絶望しているのだ。これが60年前の、綾子みたいなお嬢さんにとってどれほど深刻なことなのか。それは原爆で「地獄を見た」素子の絶望に匹敵しうるのだ。だから綾子が、「自分はもう人を愛することができない」あるいは「誰かを愛してもまたあの時のように突然愛が消えてしまったらどうしよう」というという考えから死を選ぶのは決してありえないことではない。実際綾子と素子が出会ったのも、綾子の自殺未遂が原因であることも下巻391ページに綾子自身が「あの病院で、どうにでもなれと思って薬を飲んだ」と言っている事から明らかになっている。

 絶望や希望にはその人独自の基準があってそれはなかなか修正できるようなものではない。相馬は自分の基準でしか考えられなかったから素子や綾子を理解することができず、救うこともできなかったのだ。先ほど紹介したブログのブログ主の方も相馬同様それが理解できていない。だからこそ上のような感想が出てくるのだと思う。
まして彼らは60年前、昭和29年に青年だった人々で、モラルや価値観の点でも現代人とは比べ物にならないくらい保守的であったことは理解しておかないといけない。

 さらにこのブログには「『死の島』には小説を読む愉しさが徹頭徹尾存在しない。どの登場人物にも感情移入出来ない全く面白みに欠けた作品が『死の島』である」とまで書かれている。私は全くこれには賛同できない。いや、この作品を実際読んだ方の大部分は全くそうは感じないだろうと思う。それどころか登場人物はみな魅力的だ。特に綾子は文学史に残る(?)可憐で魅力的なヒロインで、この作品のファンには綾子萌えのファンが非常に多いらしい。素子も今で言うところの「ツンデレ」の魅力があって、特に夜の仕事に出かけようとおめかしして出てきたところで相馬に「綺麗だ」と言われて照れる(?)シーンなど魅力が炸裂。主人公の相馬も、まあいわば頭でっかちで芸術家気取りのディレッタントなんだけど、その博識ぶりと屈託ない明るさに綾子が(素子も)惹かれるのは理解できる。さらにこれだけ重たいテーマを描きながら、全く難渋な作品ではない。それどころか軽妙な味さえ出ていると思う。私自身今回の再読でも非常に楽しんで読んだ。

 「『死の島』は相馬が素子と綾子のどちらを愛しているかを掘り下げるテーマを持っている」というのも明らかな読み違いで、この作品のテーマは「素子と綾子のふたりを愛してしまった相馬が二人とも失ってしまう」ではないのだろうか(いやそれもこの作品のテーマの一部にすぎないんだけど)。
 男だったら、誰だっていっぺんにふたりの女を好きになったくらいの経験あるのではないか?全然おかしなことじゃないし、私にも経験がある。そして私の経験から言えば綾子みたいな女性は絶対に「相馬さんは素子さんのことがお好きなのよ」というような自分の意見を曲げないし、素子みたいな女性は相馬を拒絶し続け、結果「二兎を思うもの一兎を得ず」になるのだ。これはもう世の中の倣いで、時代が変わろうと同じである。
 まあそれを「愛の不可能性」と呼んでもいい。もし相馬が素子か綾子のどちらか一方を熱愛していたら、どちらかを救えたかもしれない。いや多分それでも結果は変わらなかったのではないかとも思うが、どちらにしろそれでは小説にならない。

 もちろん構成・物語の進め方も見事なもので、例えば延々と続く列車内の様子。名古屋で乗ってきて京都で降りる「茶の本」を読む若い女性や、酔って間違って乗ってきた特攻隊くずれの男などが現れて物語に立体感を与える。戦後まだ8年、日本は高度成長のとば口に立っていた時代で、被爆者でなくてもまだ戦争の痛みの癒えない者もいたし、その分人情も厚い時代だった。京都で降りた女性の、ただ列車で一緒になっただけの相馬を気遣う別れ際の挨拶など、当時は当たり前だっただろうが、今時の若い女性ならほとんど絶対にできないようなもので、これを読むと現代人の失ったものの大きさをも思い知らされる。
 そこから図らずも寝入ってしまった相馬は夢を見る。この夢の、まるで現実を歪めていくような描写はなかなか強烈で、その中で相馬が自分の小説と現実を混同していることや、無意識に綾子ではなく素子を選んでいることを語る。

 そう言った展開の中に、素子の心情を描く「内部」と綾子の元恋人の「或る男」の同じ日の行動を描く部分が挿入される。「内部」では素子が、「それ」(「死」)に飲み込まれ、綾子も素子が死ぬ気であることと知った上で一緒に下宿から出て、広島の宿で薬を飲むまでが描かれる。その合間に素子の原爆体験がカナ書きで挿入される。この「内部」がこの作品の一番読みにくい部分だと思う。
 原爆体験の描写が甘い、という意見もある。そうだろうか。私は生まれも育ちも長崎県で、小さな頃からいろんな人の原爆体験を聞いてきたが、素子の原爆体験はそれら現実の話にも全く引けを取らない恐ろしく迫力のあるものだと思う。
 「或る男」のパートの主人公は、自堕落なジゴロ男だが、彼の悲惨な少年時代から、たった一人本気で愛した女性(綾子)の事を語る。この部分だけは他の部分と登場人物も舞台も全く違うのだが、何とも言えない独特の感触のある部分で、彼の寂しさと綾子の寂しさが共鳴して「愛」のようなものが発生したのだろうと読み取れるのだが、なぜ前述のように綾子の愛が「汐が引くように」無くなったのかは彼のモノローグからも読み取れない。

 さらにラストに至ると、三種類のバッドエンドが用意されていて、あたかも読者が好きな結末を選んでいいような錯覚を与えるのもこの作品の巧妙な点である。読めばわかるが実際にはこの三種類の結末は、どれを選んでも結果として同じなのである。どのパターンでも素子は虚無の向こうへ姿を消し、一番マシだと思われる綾子生存パターンを採っても、綾子はこのあと相馬を完全に拒絶するだろう事は明白である。
 このラストを踏まえて時系列で「○○日前」のラインを読んでいくと、ふたりのどちらを選ぶのか、早い時点で相馬が明確な態度を示していたらこの最悪の事態は避けられたのではないかと思うのだが、そういう間違いは人生ではよくあることだし、いずれにしても過去は変えられない。

 小説家にできることは、そんな日々を文章の中に固定し、遺すことだけだ。そして相馬=福永は素子と綾子を救うことには失敗したが、昭和29年1月23日と、それに先立つ300日間を極めて精密な小説として、永遠に遺すことに成功したのだ。
.20 2015 日本文学 comment0 trackback(-)

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