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E.T.A.ホフマン 牡猫ムルの人生観


 漱石の「吾輩は猫である」にも影響を与えたとされるホフマンの猫小説。
 自身が飼っていたムルという猫をモデルに、ムル自身が書いた草稿に音楽家クライスラーの伝記が混じってしまったまま二つの物語が同時進行するという奇抜なスタイルの作品だ。

 ムルのパートはムルと友人の猫たちや犬たちとの交流を軸に書かれた、猫を擬人化した普通の物語が普通に語られる。発表当時は相当斬新なアイディアだったと思われるが、「吾輩は猫である」や「綿の国星」に親しんだ我々にはさほどの独自性は感じられない。
 もうひとつの楽長クライスラーの物語は、ムルが「その辺にあった原稿を吸い取り紙として自分の原稿の間に挟んだ」と言うだけあって断片的で、前の部分と次の部分が連続していない。最初などは時間的にかなり後の方の内容が挟まれていたりして非常に読みにくい。こちらのストーリーは楽長クライスラーとその恋人ユリア、ユリアの主人で公女のヘドヴィガー、を中心に進む。ヘドヴィガーの婚約者イグナーツがユリアに横恋慕してクライスラーは街を追われるが…というような展開になる。
 正直言って最初はクライスラーのパートが断片的で読みにくいこともあって、ムルのパートのほうが面白く読めるのだが、読み進むにつれだんだんその比重が逆転していく。この作品、実は作者の死のために未完成で、一応の結末はあるのだけどクライスラーのパートのほうは色々と決着がつかないままで終わっていて消化不良な感は否めない。

 まあそれにしても…『「吾輩は猫である」に影響を与えた』というのは相当控えめな表現である。この二つの作品の関係は『影響を与えた』などというレベルではない。ほとんど剽窃レベルだと言わざるを得ない。ムルとミースミースの出会いの場面と、「吾輩」と三毛子の出会いの場面などほとんどそっくりではないか。
 「吾輩」が途中から「猫小説」でなくなっている(というか「猫小説」なのは第1章のみで、あとは「吾輩」が飼い主たち人間を観察するだけ)なのに比べ「ムル」のムルパートのほうは最後まで徹底して猫小説である。ホフマンの描く猫は漱石に比べるとかなりリアルである。

 しかし訳が古い。初出は昭和10年とかでもう80年ちかく前。かなり表現が古いのが気になる。そろそろ現代的な新訳で読みたいものだ。
.05 2014 ドイツ文学 comment0 trackback(-)

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