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ル・クレジオ 隔離の島


 ル・クレジオの「黄金探索者」「回帰(邦題:はじまりの時)」とともに「モーリシャス三部作」をなす作品。ついに邦訳なって出版された。税抜2900円とかなり高額な本だが、これは買わないわけにはいくまい。「回帰」は翻訳がイマイチで、正直全く期待はずれだったのだが、この「隔離の島」は「黄金探索者」と同じ中地義和氏の翻訳ということで期待が持てそうだというのもあって思い切って購入した。

 先日読んだ「地下街の人びと」が200ページに満たない薄い本なのに全然読み進められなくて、読んでしまうのに何日もかかったこともあって、最近読書するメンタリティが後退している気がしていたのだが、これを読み出したらそんなのは全くの気のせいだったことがわかった。400ページを越す重量感ある作品だが、あっという間に読んでしまった。

 これは「三部作」の中では第2作にあたり、「黄金探索者」と「回帰」の中間に書かれたものだが、「三部作」とは言っても全くそれぞれが違う物語である。この「隔離の島」は作者の母方の祖父アレクシが、モーリシャスへ帰省しようとして乗っていた船で天然痘が発生したため船ごと隔離措置を受けて、モーリシャスの北に浮かぶプラト島に40日間隔離されたという出来事に基づいている。「アレクシ」は「黄金探索者」の主人公の名前だが、主人公の名「レオン」は作者の父方の祖父の名で、このレオンは「黄金探索者」の主人公のモデルで、ロドリゲス島で宝探しをしたのだそうだ。

 この「隔離の島」は、4章に分かれていて、冒頭2章はレオンの兄の孫である(同じ名前の)レオンが語る。それから1891年のレオンが語る長大な「隔離」の章があって、最後にまた現代のレオンが語るエピローグ的な「アンナ」の章が置かれている。
 主人公たちの置かれたかなり危機的な状況もあって、「黄金探索者」にあったロマンティックな空気はここでは希薄で(いやそれでも十分ロマンティックな内容とも言えるのだが)、友人たちが倒れていったり、気がふれたりとかなりきびしい内容が語られるのだが、それが非常に流麗な文章で物語が流れていく。「黄金探索者」でもそうだったのだが、潮騒を思わせるうねりとリズムを持った素晴らしい文章で物語が綴られていて文章に惹き込まれる。これはクレジオが素晴らしいのか、翻訳者の中地氏が素晴らしいのか検証のしようもないが、ちょっと引用してみる。

 岩のくぼみの黒く焼けつく地面に横になると、寄せ波の一つ一つが泡の言葉を投げかけてくる。摩滅した石に、盲人のように両手で触れる。それは人肌のように優しい。石のなかに細くてしなやかな、するりと逃れるかと思えばしだれかかるシュルヤの肉体を感じる。彼女は僕を自分の影で、自分の水で包む。僕は彼女の虹彩の明るい琥珀色のなかにいる。そしてぼくのためにほどかれた、夜のように甘美な彼女の黒髪に包まれる。…

 ここだけを読んでも短いセンテンスの文章とやや長いセンテンスの文章をリズミカルに配置して「うねり」のリズムを生み出している事が理解していただけると思う。こういった表現は「黄金探索者」には頻発したのだが、別な翻訳者の手になる「回帰」ではほとんど見られなかった。これはル・クレジオの文体が変化したのか、それとも翻訳者の能力の差だろうか。

 ひどく簡単に言えば『青年レオンが、40日の隔離期間に兄ジャックやその妻シュザンヌ、植物学者のジョン・メトカルフ夫妻、そしてプラト島で出会う少女シュルヤヴァティとその母アナンタらとの交流を通じて成長していく物語』なのだが、これを作者は、前後に短い章を置くことでこれがジャックの孫、20世紀のレオンによって語られたことを強調し、ひいてはこの「隔離」の章に書かれたことのほとんどすべてがフィクションであることを強調している。なぜこういう構成を取ったのかはちょっと理解できない。
 それとアナンタの養母ギルバラのエピソードが途中に挿入されるが、これもあまり必要ではないと思う。こういう無駄な構成は「回帰」のキアンベのエピソードなどにも見られたので、どうもこの作者はそういう入り組んだ構成を好んでいるのだろう。

 そういう細かい難点はあるものの、これはやっぱり素晴らしい小説だった。ル・クレジオらしいロマンの香りと魅力的な登場人物を持ち、美しい文章を堪能できる作品だ。中地義和氏の翻訳も本当に素晴らしいと思う。この作品の原題は「La quarantaine」。直訳すると「40日」だが、伝染病の隔離期間が40日ということから「検疫」、「隔離」の意味もある。日本では「隔離」だけでは書物のタイトルとしてはやや弱いので中地氏は作者に邦題を「隔離の島」としていいかどうか問合わせたそうだ。「回帰」に「はじまりの時」などというまったく意味不明な邦題を恣意的につけた翻訳者とは真摯さが全く違う。肝心の訳文にもそんなところが出ているのではないだろうか。

 できれば「回帰」も中地氏の翻訳されたものを読みたかったと切に思う。いや今からでも是非お願いしたいものだ。
.21 2014 フランス文学 comment0 trackback(-)

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