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伝説巨神イデオン 接触編・発動編


 「伝説巨神イデオン」は富野由悠季監督が「機動戦士ガンダム」の直後、1980年から1981年にかけて制作したTVアニメ。御多分にもれず低視聴率にあえぎ、とうとう最後にはあと4話を残して打ち切られた。この劇場版はその打ち切りで制作されずに終わった4話分を復活させた「発動編」と、そこに至る物語をTV版のダイジェストで編集した「接触編」で構成された二部作である。今回CSで放送されたのを録画してもらって観た。

 宇宙へ進出した地球人は、遠くアンドロメダ銀河の惑星、ソロ星に植民地を作ったが、そこで第6文明人の遺跡に遭遇する。「イデオン」と呼ばれる謎の三台の巨大メカと、巨大な宇宙船「ソロシップ」を発見、研究するのだがこれらのメカには動力源がなく動かすことが出来ない。ある日、異星人バッフ・クランが伝説の力「イデ」を探してソロ星にやってくる。地球人の存在を察知したバッフ・クランは接触を避けようとするが、独断で先行した軍司令官の娘カララを探すうち偶発的に戦闘になってしまう。混乱の中、突然イデオンが動き出す。

 物語の中で「イデ」の力について様々な推測がなされるが、すでに滅んだ「第6文明人」が創り出した精神エネルギーのようなもので、無から無限のエネルギーを引き出すことが出来るのだが、そのエネルギーを生み出すのは結局イデ自身の意志によるものらしい。その意思はどうやら子供らの「純粋な防衛本能」に反応するらしく、イデオンに乗り込んだ子供たちが危機に晒されれば晒されるほど強力な力で発現する。バッフ・クランの大軍勢を寄せ付けず、時には惑星を真っ二つに叩き割るほどの力を発揮する。アニメ史上最強のロボットと言えるだろう。これほどのパワーを持ったロボットはイデオンを除けばアラレちゃんだけだ。

 物語は「イデ」の力を奪おうと執拗に追ってくるバッフ・クランから逃げようと必死の逃避行を繰り広げるソロシップを、リーダーのベスやイデオンのパイロットになったコスモや、イデの研究をするシェリル、そしてバッフ・クランでありながら地球人と行動を共にし、ベスと愛しあう事になるカララらの人間模様を描きながら進んでいく。
 富野由悠季氏が「皆殺しの富野」と呼ばれるようになったのはこの作品よりもかなり後のことなのだが、この作品での皆殺しぶりはのちの作品の比ではない。ただ死ぬだけではない。殺され方がかなりエグい。カララは顔面に銃弾を受け、カーシャは全身に散弾を浴び、キッチンは爆発で首がもげてしまう。あの「エヴァンゲリオン」でさえシンジとアスカだけは生き残ったのに、このアニメ、ラストではまさしく全員が死んでしまう。こんなアニメは他にない。

 このアニメを語るとき、どうしても「イデ」という存在について考えなければならないだろう。これは一種の超文明で、何が行動基準なのか全く明らかにされない。ただ人の心の動きを感じ取って必要であれば物理学を無視して人物を遠くまで飛ばしたり、逆にあらゆる攻撃から守る事もできる。バッフ・クランと地球人を意図的に引き合わせたフシもある。登場人物たちは「イデ」が「善なるもの」を守ろうとしていると言うが、その「善」の基準自体が「イデ」独自の判断基準に依っていて、その基準は全く曖昧である。作品の中で述べられる「イデ」の意図はあくまで彼らの仮説に過ぎない。また「イデ」と直接会話するようなシーンがあるが、あれはあくまで登場人物の夢の中でのことで、実際に「イデ」の意思を語っているとは断言できない。
 この「イデ」は、言うなればソラリスの海みたいな「不完全な神」のような存在で、その思考は地球人やバッフ・クランとは全く違うものなだと解釈すればわかりやすいかもしれない。「イデ」の意図は推測の域を出ず、全く不明だが、すくなくとも自己保存の意図さえない。地球やバッフ・クランを流星で攻撃し、バッフ・クランの総攻撃を誘導するあたり、逆に自分が破壊されることを望んでいるようにさえ見える。
 「発動編」のラストで何が起こったのか正直良くわからない。バッフ・クランの最終兵器ガンド・ロワの直撃を受けイデオンは溶解しながらイデオ・ソードでガンド・ロワをぶった切るが、その瞬間「イデ」の力が開放される。その後戦いで死んでいったはずの人々が星の間を飛び交う抽象的なシーンが展開される。一般的には宇宙が滅び、新しい宇宙が生まれた、という解釈をされているようだが、本当にそうだろうか。最後の戦いで死んだコスモらが断末魔に見た主観的な夢にすぎない、という解釈は成り立たないだろうか。

 超文明による人類の粛清と新しい宇宙の創造、富野がそんなものをまじめに描こうとしたなど私は信じない。富野が描きたかったのは、ボタンの掛け違いのようなわずかな綻びから異星人であるとはいえ同じ人間であるはずの人々が憎みあい、殺しあい、そしてその憎しみが平和を求める理性をもねじ伏せて破滅を呼ぶこともあるということ、それ自体だったのではないだろうか。カララの死を目の当たりにしたカーシャの呪詛のセリフ「みんな星になっちゃえ」が端的にそれを示しているのではないだろうか。

 アニメとしてはやっぱり今の目からしたら古い。今ならイデオンはもっと遺跡らしいものとして描かれて、あんなオモチャっぽいデザインにはならないだろうし、全体的にも最近のアニメの精巧さには及びもつかないが、湖川友謙氏のシャープなキャラデザインは素晴らしい。特にバッフ・クランの人々(カララ、ハルル、ギジェ)の美しいこと。TVアニメでありながら三段影付きのハルル姉さんのスゴみと言ったら痺れるくらいだ。人物の顔に全然影を付けない細○守に湖川氏の爪の垢を煎じて飲ませたい。
 「ガンダム」のキャストをそのまま引っ張ってきた声優陣はちょっとあんまりかなと。「ガンダム」以上に白石冬美が大ミスキャスト。カララを演じた戸田恵子はマチルダ中尉の100倍くらい素晴らしい。
 あと、すぎやまこういちによる音楽が素晴らしい。キッチンの衝撃的な死のシーンの直後、TVシリーズのエンディング「コスモスに君と」が弦楽合奏で鳴り響くところ(「発動編」冒頭)は息を飲むほど美しい。ただ「接触編」エンディングの「セーリングフライ」とかいうヘンな歌(しかも歌手がヘタクソ!!)はいただけない。

 久しぶりに観てとても面白かった。ただこの映画、起承転結でいえば「転」にあたる中間のストーリーがすっぽり抜けている。TVシリーズ改めて観たいなと思った。
.22 2012 アニメ comment0 trackback(-)

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