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福井晴敏 月に繭、地には果実


 「終戦のローレライ」などが有名な福井晴敏の長編SF小説、全3巻。タイトルやこの文庫版の装丁からは全くわからないが、実は富野由悠季監督のTVアニメ「∀ガンダム」のノベライズ作品なのだ。
 福井氏はガンダムファンとしても有名で、現在アニメ化が進行中の「ガンダムユニコーン」の原作小説も書いている。

 この作品の執筆に当たり、福井氏は富野氏から企画段階だった「∀ガンダム」の冒頭のプロットとキャラクターの概要だけを聞かされ、あとは富野氏が書きそうな「ガンダム」として自由に書いたのだそうだ。なのでTVアニメとはかなり違う部分が非常に多い。全く登場してこないキャラクターがいる。たとえばジョゼフやメシェー、泣き虫ポウ、果てはコレン・ナンダーが出てこない。出てきてもあっさり死んじゃうギム・ギンガナムとか作品中の扱いも大きく違う。福井作品らしくリアルで凄惨な戦闘シーンが展開し、TV版のまったりのんびりした空気とは全く違う。最後にはディアナ専用モビルアーマーまで登場し、TV版とは全く違って登場人物は(昔の富野作品のごとく)次々と死んでいくのである。

 そういうTV版と全く違う、どちらかというと「Vガンダム」を思わせる重苦しい展開でこの作品が描き出すのは、自然と共生して生きる人々に憧れ地球への帰還を急いだディアナと地球の近代化を進めるためにムーンレイスのテクノロジーを我が物にしようとしたグエンの思いの食い違いと、ただそれだけの小さな食い違いが戦争を引き起こし世界を巻き込んでいく、その様である。
 ここで福井は、「ガンダム」の共通言語である(と一般には理解されている)「ニュータイプ」という言葉をも盛り込んでいかにも「ガンダム」らしいストーリーを展開していく。
 しかし、それが間違いだったことはTV版を見ればこれはもう明らかで、TV版には「ニュータイプ」の「ニ」の字さえ出てこない。

 そもそも富野氏は「Zガンダム」のころから「ニュータイプ」という概念を否定するスタンスであったことは作品を見れば明らかで、「Z」では作中でニュータイプとして認知された人物はほとんどが非業の死を遂げ、主人公カミーユはニュータイプの感受性の強さが仇となって発狂してしまう。さらに「F91」では主人公シーブックにニュータイプについて「パイロット特性のある人の事」と断じさせている。「∀」ではニュータイプという言葉に一切触れず、人が分かり合う事に特別な能力なんて必要ないのだということを描いている(と私は思っている)のだが、福井のこの作品では、旧来通り「ニュータイプ」=「超能力者」としてただ便利に描かれているだけなのだ。そのあたりが福井の限界だったのだろうか。この点では富野の方が福井よりもはるかに上を行っていると言えるかもしれない。

 富野氏のファンだけど、「∀」や「キングゲイナー」が好きではなく、昔の「皆殺しの富野」が好きな人には好適な作品。逆に「∀」が好きな人はあまり読まなくてもいいかな、といった作品。ちなみに私は後者。「ディアナの墓参り」のシーンが、「黄金の秋」のラストがない「∀」なんて私には何の価値もない。
.15 2012 SF comment0 trackback(-)

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