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輪るピングドラム 完結


 「輪るピングドラム」が先日の放送で完結した。

 非常にテンションが高く、謎が謎を呼ぶストーリー展開にすっかりはまって半年間あっという間に観てしまった感もある。週一のオンエアを待ちに待ったみたいなテンションで観るとこんなに面白かったアニメは久しぶりかもしれない。

 でもよく考えるとこの作品は本当に穴だらけ。製作者がはじめからピングドラムの正体をはじめとする謎の答えを知っていたとは到底思えないのだ。
 例えば時籠ゆりは、最初から「桃果の日記」を狙っていたはずだ。それなら第4話で、溺れた苹果を晶馬が助けている間にやすやすと奪えたはずだ。
 真砂子が冠葉の元カノの記憶を消すのも意味不明。阿佐美(だったっけ)を赤坂駅で襲ったのが冠葉の差し金によるキガグループの仕業だったのが露見するのを恐れた、当時眞悧の指示で動いていた真砂子が阿佐美の記憶を消すのはわかるが、なぜもう二人の元カノの記憶も消す必要があったのだろうか? 真砂子は冠葉にキスしたりするシーンもあった(第10話)。真砂子が冠葉の妹だと言う設定は果たしていつからあったのだろうか。
 さらに陽毬が変身した「プリンセス」が、呪文のせいで二つに引き裂かれた桃果の片割れだというのはどうしても納得できない。桃果は事件当時まだ小学校3~4年生だし、「プリンセス」と桃果はイメージが違いすぎる。眞悧がそのままの姿で現れたのに桃果は「プリンセス」だというのも納得がいかない。
 そしてなにより気に入らないのは、冠葉と晶馬が檻に入れられてリンゴを分け合うという、極めて重要な回想シーンが、最終回になってはじめて出てきたということだ。それまでこのアニメは過去のシーンを断片的に見せる事で視聴者へのヒントを呈示する形をずっと取ってきた。だからそれまでの23回の間でいくらでも檻に入れられた晶馬や冠葉のイメージを呈示することができたはずだ。

 製作者がはじめから設定をがっちり組んでいたらありえないような矛盾が多い。要するにこのアニメ、あんまり先のことは考えずに行き当たりばったりに作ったんではないだろうかと思えてしまう。そういう矛盾が、オンエアで週一回見ている分にはいいが、あとで録画やDVDでまとめて見たらすごく気になるんじゃないかな、と思ったりするのだ。
 もちろん、はじめからきっちり構成していたらこの作品の一番の魅力である、なんとも言えないパワーというか、そういうものは出なかったとは思う。そこが物語をつくるということの難しさだとは思うんだけど。

 世界の乗り換えの呪文「運命の果実をいっしょに食べよう」も、これは要するに愛の言葉であるわけで、苹果が晶馬のためにこの言葉を唱えるのはわかるが、16年前の例の事件の時、桃果は誰に向かってこの言葉を唱えたのだろうか。
.24 2011 アニメ comment2 trackback(-)

comment

piaaさん、こんにちは。

『輪るピングドラム』、私には文句無しに面白い作品でした。
当初期待していた通りに、なにか輝かしいものの欠片を私に与えてくれました。筋道だったストーリーや完璧な設定を組み立てられていないとしても、十分に与えてくれ、受けとることができました。大満足です。


真砂子さんが冠葉の元カノの記憶を消していったのは、冠葉の愛をすべて自分(とマリオさん)の方へ向けさせたかったからですかね? 陽毬のところへ乗り込んで行った時も「愛を返せ」と言ってましたよね。真砂子さんは冠葉から自分に向けられてしかるべき愛情(肉親としての愛情)を得られなかったために、冠葉から放たれる全ての愛情を(肉親としての愛情以外のものも)欲したのかもしれませんね。


>眞悧がそのままの姿で現れたのに桃果は「プリンセス」だというのも納得がいかない

眞悧は引き裂かれて2羽の黒ウサギとなり、桃果は2つの帽子となっていませんでしたか。「プリンセス」は帽子の人格であって、眞悧のお付きの黒ウサギ達のキャラクターが眞悧自身とは違っていたように、「プリンセス」の帽子も桃果本人の人格とは完全に一致しなくてもよかったのではないかと。


>それまでの23回の間でいくらでも檻に入れられた晶馬や冠葉のイメージを呈示することができたはず

他人から注がれる愛を、あるいは他人へ注ぐ愛を理解したり信じたりすることができなかった晶馬は、最終回付近になって初めて「最初にもらった愛」の記憶を取り戻すわけですから(それまでは忘れているか無視しているが故に晶馬は物語の本筋に関わることを許されなかった。それが苹果から愛を注がれることで、また苹果への自身の愛を感じることでようやく愛の物語への参入を許されるようになった)、これが最終回になって初めて描かれるのは、むしろ自然なことに思えましたが。


>世界の乗り換えの呪文「運命の果実をいっしょに食べよう」も、これは要するに愛の言葉であるわけで、苹果が晶馬のためにこの言葉を唱えるのはわかる

「運命の果実をいっしょに食べよう」という呪文は、苹果から晶馬へではなく、苹果から陽毬への言葉ではないでしょうか。陽毬を救いたい気持ちから、苹果は運命の列車に飛び乗ったわけです。そして陽毬を救うためには陽毬にとって最も重要な言葉が必要であり、それがあの呪文だったのでは。これは陽毬が最初に晶馬からもらった言葉で、最初の愛の記憶であり、陽毬を生かすために、彼女が生きるためには絶対に必要な言葉でしたよね。


と、あれこれ議論・考察するだけでもまだしばらく楽しめそうな、素晴らしい作品でしたよね!
私は大満足です!!!
2011.12.25 14:24 | URL | ntmym #- [edit]
ntmymさん、こんばんわ!
ついついコメントする機会を逃してしまいましたが、もうお体は大丈夫でしょうか?
私もこのブログをはじめる前の年の年末に手術して2週間入院した事があります。病気をしてはじめて、日ごろ健康なことがとても幸せなことだとつくづく思いますよね。

さてピングドラムですが、まゆまゆとMINMINと三人で毎週楽しみにして観ていました。(RINRINは大学生活が忙しくてアニメどころではないので・・・)
とにかく面白かったです。でも中盤からは辻褄の合わないこと(特に田蕗・ゆりの周辺)が多すぎた気がして、私にとっては「素晴らしい作品」とまでは行かなかったかなと思います。今年のアニメでは「まどか」や「あの花」のほうが完成度は高かったと思います。

製作者が終盤まで意識的に晶馬の内面を描かなかったというのはわかりますが、晶馬は「愛を理解したり信じたりすることができなかった」でしょうか?陽毬はともかく冠葉、晶馬の二人ははじめから自分達が兄妹ではなかったことを知っていました。序盤で晶馬が苹果に「兄妹のふりをしている」という趣旨のことを言われるシーンがありましたよね。彼は陽毬のように記憶をなくしていたわけではありません。ならばいつでも回想の断片として「晶馬が檻に入れられている」という状況があったことだけでも描いていても全く不自然ではないし、最終回の唐突な印象も和らいだはずです。
ま、それ以前にあの「檻に入れられた冠葉と晶馬」がどういう状況に置かれていたのか全く不明な点が気になるわけですが…

>あれこれ議論・考察するだけでもまだしばらく楽しめそう
全くそのとおりですね。いずれにしろとても面白い作品でした。
2011.12.26 01:11 | URL | piaa #- [edit]

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