スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
.-- -- スポンサー広告 comment(-) trackback(-)

アーダルベルト・シュティフター 晩夏


 シュティフター畢生の大作である。私が手に入れたのは写真の集英社世界文学全集ベラージュの中の一冊として1979年に発売されたハードカヴァー版。2段抜きで500ページ近い巨大な作品である。私が読むのに1ヶ月近くも要したのは単に長いからではない。

 この作品を評してよく言われるのは、「この小説を終わりまで読み通した人にはポーランドの王冠を進呈しよう」というヘッベルという劇作家の評を引くまでもなく、おそろしく退屈な作品であるということ。ストーリーを要約すれば数行で述べてしまえる内容が延々と描かれているという事である。ストーリーを要約すると、「ある若者が雷雨を避けて訪れた薔薇の家で出会ったリーザハ男爵と友情を結び、やがて男爵の若い日の恋人マティルデの娘ナターリエと結ばれる。」以上。たったこれだけのストーリーに、2段抜きで500ページ(現在出ているちくま文庫版では1000ページくらい)を費やしてしまうのだからこれはある意味途方もない小説だ。

 ではこの小説、一体なにが書いてあるのか。実はこの小説の三分の二は上のストーリーとは全く無関係な、主人公が薔薇の家の主人らと語り合った芸術談義とか園芸の話とか、それに類したことが、語り手の青年の日記のような形でとうとうと語られる。毎年夏に薔薇の家を訪れて滞在を繰り返す主人公はマティルデとその娘ナターリエとも出会うのだが、全体の三分の二ほどがすぎるまでは自分がナターリエに愛情を覚えていることすら書かれていない。ナターリエと思いを通わすシーンでも恐ろしいほどの自制ぶり。何回か主人公と友人との会話に出てくる、友人の言う絶世の美女タローナ嬢のエピソードの顛末だけがなんとも微笑ましいが、とにかく徹底して禁欲的で驚くほど強い自制心のもとに書かれた、現代にはありえない作品である。

 前回私はこの作品に触れて、「この小説は現代人が忙しい時間を工面して空いた時間にちょこちょこ読むような作品ではない。なので私がいつもやっているような仕事の休憩時間に読むとか、そういう読み方では読めない作品だ。「晩夏」に関しては、まとまった読書時間が取れないときは読むべきではない。」と述べたが、この作品にはこの作品の中だけに流れる独自の時間を持っている。いや優秀な文学作品ならそういう独自の時間を持っているという事はよくあるのだが、この作品のもつ「独自の時間」は他の作品とはわけが違う。とにかく事件らしい事件が一切起こらないこの作品では、読者は登場人物たちの芸術談義を、あたかも彼らと同席して聞いているかのような、そんな時間が流れる。だから読むほうもリラックスして、作品の時間に没入して読む必要があるのだ。

 この作品の主要な登場人物はみな当時の上流階級の人々で、生活の心配など無縁で、ただ自分の愛する家や土地や芸術品のことを気にかけていればいいような人々だ。だから正直言って全く感情移入できないはずなのだが、そんな人々について延々と語られるこの小説、たしかにとんでもなく退屈な作品である。しかし、だからと言って面白くないというわけではない。実際読んでいると、主人公が体験するあたかも桃源郷のごとき夏の生活がなんとも美しく、羨ましい。自分だってお金を湯水のように持ってたらこんな生活するのにな、などと思ってしまう人も多いのでは。

 ここに描かれた世界は、シュティフターらしい強烈なバイアスのかかったものだ。世の中の醜い部分や、人間同士の感情のぶつかり合いとかは、描こうと思えばいくらでも描けただろうに、まったく描かれない。唯一描かれるのが、リーザハ男爵の昔話の中にある、男爵とマティルデが別れるくだりだけである。それだけにこのシーンは印象深い。というか、リーザハ男爵の若い日の物語をストレートに小説にしたほうがはるかに「面白い」小説になったろうに、作者はそうしなかった。作者はあえて静的な物語を選んだのである。
 ここで繰り広げられるのは、実はリーザハ男爵とマティルデの、遅れてきた人生の夏(晩夏)の描写であり、彼らの実らなかった愛を思う後悔ではなく、残された人生を前向きに捉えるポジティブな思いである。主人公とナターリエとのエピソードなどは(彼らの実らなかった愛への代償であるという要素を除けば)それを彩る一部でしかないのかもしれない。

 主人公の父は言う。「人間はまず人間社会のためにではなくて、自分自身のためにあるのだ。そして各人が自己自身のために最良のあり方で存在するとき、人間社会のためにもまた最良の存在となる。(10ページ)」 これはシュティフター自身の主張であろう。これはまったくの理想論であり、本当にそうだったら世界はもっともっと素晴らしいのだろうけど、実際にはそんなことでは社会は成り立たない。人間は利己的なものだからである。だからそれがわかっている世知辛い現代人には、この作品に描かれる世界は理想の世界、桃源郷に他ならない。

 発表当時にもすでに時代遅れと言われ、その後も退屈だと言われ続け、日本以外では翻訳もされていない。しかしこれはなんとも言えない魅力があることを認めざるを得ない作品だ。現代人は桃源郷の美しさに惹かれないわけにはいかないのだろう。そんな事を読みながら思った小説だった。
.19 2011 ドイツ文学 comment1 trackback(-)

comment

ぼくはこの小説を二回通読しました。そしてあちこちを100回は拾い読みしました。なんという空間を形どっていることか、深く濃くやわらかい世界です。
この晩夏を中心に

石さまざまを読み、シュティフターファンというきわめて例外的なカテゴリーに所属することになりました。
自分以外でこの作品について語った方はあなた以外にはリルケとトーマスマンとヘッベルだけでした。
2016.02.26 22:43 | URL | エーベルバッハ少佐 #- [edit]

post comment

  • URL
  • comment

  • password
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

piaa

  • Author:piaa
  • Livedoorへ移転しましたので、そちらでお願いします。
    http://blog.livedoor.jp/piaa0117/

    こちらのブログへのコメントはLivedoorに転載しますが、定期的にチェックしないので相当遅くなることもあります。

ブログナビ

P&M_Blog
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
P&M_Blog
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2011年08月
  ├ カテゴリー
  |  └ ドイツ文学
  └ アーダルベルト・シュティフター 晩夏

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

月別アーカイブ

カウンター

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。