スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
.-- -- スポンサー広告 comment(-) trackback(-)

スタニスワフ・レム 泰平ヨンの航星日記 改訳版


 20年ほど前になくしてしまい、それ以降ずっと手に入らなかった「航星日記」が、深見弾氏の名訳に大野典宏氏が手を入れた「改訳版」となってついに再刊。やっと手に入れることができて感慨深い。やたらに現代調のカヴァーがどう考えてもこの作品には合わないような気がするが、そんなことはこの際どうでもいい。で、早速読み始めたのだがなんだか違和感が…

 この「改訳版」、なんと泰平ヨンの一人称が「吾輩」ではないのだ!!
 あの泰平ヨンが自分のことを「私」と呼ぶのだ。この一人称が「私」に変わった影響は意外と大きく、作品の印象が大きく違ってしまった。だいたい「吾輩」という一人称は全くの死語で、こんな一人称を使うのはほら吹き男爵ミュンヒハウゼンとスネイプ先生くらいのもんだ。「吾輩」という一人称はそれだけですでに滑稽かつ尊大な印象を与え、この作品がホラ話である事をそれだけで印象付けてしまう。だから読者はすんなりとこの泰平ヨンのホラ話に入っていけたのだ。ところがこれが「私」だと真面目なのか不真面目なのかよくわからないような気がしてしまう。
 旧版が手元にないので比較はできないが、印象としてはヨンが少し若返った印象で、それに伴って全体に見通しがよくなって読みやすくなっている。そういうプラス面は大いに歓迎できる事だし、旧版が古臭く思える今、この「改訳版」の存在意義は大きいとは思う。
 ではなぜこれは「改訳版」なのだろう。日本語では、一人称が変わってしまった文章はもはや別物だと思う。翻訳者としての深見氏の名前は外して、大野氏の「新訳」でよかったのではないのか?

 解説に翻訳の大野氏が、今回こういう解釈になった理由を述べておられる。レムはこの作品の版を何度か改めていて、そのたびに新しい序文を付け加えている。そこで付け加えられた序文が、この作品全体を研究書の体裁に仕立て上げていて、それを根拠にハードSF的な解釈を施した、というものである。しかし、タラントガ教授が書いたとされるこの序文こそ、それ自体がジョークであり強烈な皮肉なのだ。レムのレムたる所以を示す彼一流の諧謔なのに。
 そもそもこの作品は、メカとも生身ともつかぬ宇宙生物、時間の経過を無視した宇宙旅行などSFとしては正直無茶苦茶。ヨンのキャラクターもヒーローにあるまじき俗物で、すぐキレてしまうこらえ性のない男だ。ストイックなプロのパイロットであるピルクスとは雲泥の差がある。それをハードSF的に捉えるという事自体無理があるような気もするのだが。

 作品自体はもちろん言う事なし。冒頭の、宇宙船内の時間がループして何人ものヨンが登場し混乱する「第7回の旅」から飛ばしまくる。
 惑星エンテロピアを訪ねる「第14回の旅」はのちの「現場検証」のベースになる作品だ。作中に出てくる「セプルキ」が何のことなのか最後まで説明されないあたりがいかにもレムの作品らしい。ストルムとその対処法のくだりはちょっとぞっとする。このあたりは「回想記」に繋がるアイディアだ。
 「第20回の旅」は時間旅行をして天地創造をする機関の責任者になったヨンとその部下達の物語。彼らが失敗するたびに現在の世界に近づいていく。失敗した責任者を過去の時代に飛ばすと歴史上の人物になってしまう。全くよくこんな荒唐無稽な物語を思いつくものだ。
 他にも地球の生命は異星人の犯罪行為からできたという「第8回の旅」、自分達の作った機械によって滅ぼされる運命を「法を遵守しているから」と受けいれてしまう文明を描いた「第24回の旅」など傑作揃いだ。レムはこれらの作品で、あるときは認識の限界を語り、あるときは微妙なバランスの上に成り立っている歴史や生命の危うさを語り、その内容の深さは計り知れない。

 これらの驚くべきアイディアを、レムはただの滑稽な駄法螺として聞かせる。レムはそこが凄いのだ。だからこそ旧版では駄法螺としての体裁で翻訳してあったわけで、端正な文章で再現された今回の「改訳版」はそこが物足りなかった。

 とはいえ、この作品が出たという事自体、大変意義のある事には間違いない。はじめての人もぜひこの恐ろしくて楽しい作品を楽しんでほしい。
 今後「回想記」と「未来学会議」を併せた「地上編」を出す予定があるとかないとか。さらに「現場検証」、「地球の平和」も出てくれることを期待している。
.17 2009 スタニスワフ・レム comment4 trackback0

comment

こんばんわ
レムに負けず劣らずの長文ですね(笑
深見氏の旧訳と読み比べてみたんですが、思っていた以上に大野氏の手が入れられていて、手直し程度ではないです。
声に出して読むなら旧訳の方かなという感じでした。
*勿論ですが訳文の良し悪しを言っているのではありません。
>ハードSF的に捉えるということ自体無理があるような・・
私もそう思います。
序文の追加・改定(による入れ子構造)については多弁症のレムですから、気楽な遊びでやったんじゃないかと思ったりします。
巷で言われるメタフィクショニストとしてのレムという議論は、特殊な視点を獲得するために、ある特定の作品(勿論、あれとあれです!)にだけ有効で、「泰平ヨン」は後付けでそういう体裁にしただけの平凡なレムじゃないかなと思います。
そこで人称のことですが「泰平ヨン」は未来の人間のようですし、この世界の時系列上にあるように読めるところからも滑稽味は確かに薄まりますが<私>でも良いと思います。
「未来会議」までシリアスな作風になると<吾輩>では逆に違和感を覚えます。
そこらあたりを射程に入れての改変かもしれません。
しかし、それなら<拙者>や<貴公>といった言葉・文体をなぜ訳者はそのままにしたのか疑問にも思いましたけど。
2009.09.20 02:22 | URL | ojyamasimasu #- [edit]
ojyamasimasuさんこんばんわ。

全くおっしゃるとおりで、私も一人称が「吾輩」でないといけないというわけではないのですが、これだけで作品の手触りは大きく変わってしまいますよね。
逆にこれだけ書き換わっていて、明らかにオリジナルの深見訳とは全く違う内容になっているにもかかわらず、わざわざ深見氏の名前を出すのはなぜだろうと疑問に思ってしまいます。

まあそれでもとにかくこの本が出たこと自体大変意義があることなので、売れて続巻があることを願いますが。
2009.09.20 21:59 | URL | piaa #- [edit]
一人称ってのはやはり大切ですね。
航星日記は「地球の平和」を読みたいという邪な理由で、先日購入しました。
トールサイズにするのは正直間違いだと感じました。
同じ早川なのに他とサイズが合わないのは何かいらいらしてしまいます。
2009.09.21 13:27 | URL | 円達磨 #OzsWmzus [edit]
私も他の本は持っているので、「回想記」とかはすっ飛ばして「地球の平和」出してくれないかなとも思うんですけどね。

ハヤカワ、なんでトールサイズなんでしょうね。ハヤカワはもともとepi文庫だけ版が大きくて気に入らなかったのですが、最近出るやつはすべてそのサイズになっているようです。
従来のものよりも1センチくらい大きいのですが、これって読者が本棚で大きさが揃わなくて気に食わないだけでなく、森林資源の無駄遣いです。全部の本の全部のページが1センチづつ大きかったら膨大な量の紙が無駄に使われている事になりますからね。
ハヤカワには即刻の善処をお願いしたいものです。
2009.09.21 22:38 | URL | piaa #- [edit]

post comment

  • URL
  • comment

  • password
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://piaa0117.blog6.fc2.com/tb.php/1208-6a0ccccc

プロフィール

piaa

  • Author:piaa
  • Livedoorへ移転しましたので、そちらでお願いします。
    http://blog.livedoor.jp/piaa0117/

    こちらのブログへのコメントはLivedoorに転載しますが、定期的にチェックしないので相当遅くなることもあります。

ブログナビ

P&M_Blog
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
P&M_Blog
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2009年09月
  ├ カテゴリー
  |  └ スタニスワフ・レム
  └ スタニスワフ・レム 泰平ヨンの航星日記 改訳版

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

月別アーカイブ

カウンター

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。