J.R.R.トールキン 指輪物語3 王の帰還
『指輪物語』全9冊、かなり長い事かかってやっと読み終わった。
実はもう一冊「追補編」があるのだが、まあそれは置いといて、一応本編を通読した今、この巨大なファンタジー作品についてやっとちゃんと語れるところまで来たという事になる。
この作品はどう読むべきなのだろうか。ファンタジーというジャンルはこの作品が現れるまでは存在していなかった。いや、ファンタジー的な要素を持った作品、神話や伝説を下敷きとしている作品はシェイクスピアの「夏の夜の夢」あたりをはじめとして枚挙にいとまないが、物語のすべてがこの世界ではない異世界の中での出来事であるというのが前提になっている作品と言うのは、おそらくこの作家の「ホビットの冒険」が歴史上初だったのではないだろうか。
というわけでトールキンはこの「中つ国(ミドルアース)」の世界を全くの無から創造しているのだが、その設定の細かさは本当に舌を巻くほどである。エルフ、ドワーフ、ホビットといった種族のそれぞれの特徴や暮らしぶり、さらに人間になるとローハンとゴンドールでの文化の違いも細かく描かれ、さらにそれらの種族の長い歴史が非常にきめ細かく設定されていて、あたかも「ホビットの冒険」と「指輪物語」の前に数十冊もの「中つ国」の歴史について書かれた書物が存在しているかのようである。実際に「シルマリルの物語」や「終わらざりし物語」などの大著がある。
この作品の設定は以後たくさん現れたファンタジー作品に影響を与え続けている。私はファンタジーの熱心な読者ではないのでよくわからないのだが、今でもファンタジー作品にエルフやドワーフは欠かせない存在だと言えるようだ。
書かれた時期が先の大戦と重なるという事で、世界を巻き込む大戦争を第2次大戦と重ねると、それを手に入れると強大な力を持つ「指輪」は核兵器の象徴なのだろうかなどという穿った見方もできる。ところがこの見方は、作者自身があとがきの中で「実際の戦争が作品に影響を与えた事は一切ない」と明確に否定している。驚いた事にこの作者は「寓意と言うものがどうしても好きになれない」のだそうで、そうするとこの作品には寓意というものがほとんど存在しないというふうに考えるしかないという事になる。
ではこの作品は一体なんなのだろうか。端的に言えば、作者の「遊び」なのだ。しかしそれはそんじょそこらの「遊び」ではない。徹底的な、ひょっとしたら人生の全てを賭けた真剣な「遊び」なのだ。その驚くべき「遊び」が本の中だけに存在するほとんど完璧なまでの「異世界」を作り出してしまったのだ。この作品を読んでも現実の生活に役立つような教訓や知識を得る事はほとんどない。この作品を読んで得られるのは異世界を旅した記憶、ただそれだけである。他には何もない。これを読むという事は現実の世界から見れば全くの徒労なのだ。しかし、だからこそこの作品の魅力は消しがたい。多くの人を惹きつけ、果ては前代未聞の規模の大作映画まで作らせてしまう。この作品はそうした強力な魅力を持った本当に驚くべき作品だといえる。
この作品の欠点は、これも以前からよく言われることだが、短すぎる事であろう。あと10冊くらいあってもいい。アラゴルンとアルウェンの物語や、ガンダルフとサルマン以外の魔法使いの話や、レゴラスとギムリの珍道中や、そんなこんなをもっと読みたかった。いやきっとそう思わせるからこそ名作なんだろうけど。
というわけでトールキンはこの「中つ国(ミドルアース)」の世界を全くの無から創造しているのだが、その設定の細かさは本当に舌を巻くほどである。エルフ、ドワーフ、ホビットといった種族のそれぞれの特徴や暮らしぶり、さらに人間になるとローハンとゴンドールでの文化の違いも細かく描かれ、さらにそれらの種族の長い歴史が非常にきめ細かく設定されていて、あたかも「ホビットの冒険」と「指輪物語」の前に数十冊もの「中つ国」の歴史について書かれた書物が存在しているかのようである。実際に「シルマリルの物語」や「終わらざりし物語」などの大著がある。
この作品の設定は以後たくさん現れたファンタジー作品に影響を与え続けている。私はファンタジーの熱心な読者ではないのでよくわからないのだが、今でもファンタジー作品にエルフやドワーフは欠かせない存在だと言えるようだ。
書かれた時期が先の大戦と重なるという事で、世界を巻き込む大戦争を第2次大戦と重ねると、それを手に入れると強大な力を持つ「指輪」は核兵器の象徴なのだろうかなどという穿った見方もできる。ところがこの見方は、作者自身があとがきの中で「実際の戦争が作品に影響を与えた事は一切ない」と明確に否定している。驚いた事にこの作者は「寓意と言うものがどうしても好きになれない」のだそうで、そうするとこの作品には寓意というものがほとんど存在しないというふうに考えるしかないという事になる。
ではこの作品は一体なんなのだろうか。端的に言えば、作者の「遊び」なのだ。しかしそれはそんじょそこらの「遊び」ではない。徹底的な、ひょっとしたら人生の全てを賭けた真剣な「遊び」なのだ。その驚くべき「遊び」が本の中だけに存在するほとんど完璧なまでの「異世界」を作り出してしまったのだ。この作品を読んでも現実の生活に役立つような教訓や知識を得る事はほとんどない。この作品を読んで得られるのは異世界を旅した記憶、ただそれだけである。他には何もない。これを読むという事は現実の世界から見れば全くの徒労なのだ。しかし、だからこそこの作品の魅力は消しがたい。多くの人を惹きつけ、果ては前代未聞の規模の大作映画まで作らせてしまう。この作品はそうした強力な魅力を持った本当に驚くべき作品だといえる。
この作品の欠点は、これも以前からよく言われることだが、短すぎる事であろう。あと10冊くらいあってもいい。アラゴルンとアルウェンの物語や、ガンダルフとサルマン以外の魔法使いの話や、レゴラスとギムリの珍道中や、そんなこんなをもっと読みたかった。いやきっとそう思わせるからこそ名作なんだろうけど。