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ドラマとか。

 今日からRINRINが京都へ2泊3日の修学旅行に出かけた。うるさい女どもの一人がいないとなんだか静かな我が家である。
 「帰ってくるまで『春のワルツ』は観ないでね」と言われているので先週録画したままの『春のワルツ』第4回が観れない。てかRINRIN帰る頃にはもう一本増えるし。
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.31 2006 TV comment0 trackback0

スタートレック・エンタープライズ/覚醒する恐怖


 スタートレック・エンタープライズ(以下ENT)はスタートレックの最も新しいシリーズで、2005年まで4シーズンが放送された。
 カーク船長の冒険の百年前、宇宙連邦創設以前の時代が舞台である。この番組に出てくるアーチャー船長のエンタープライズNX-01はワープ5くらいまでしかスピードが出せない(ちなみにカーク船長のエンタープライズNCC-1701はワープ8とか9とか出せるようだ)。
.30 2006 スタートレック comment0 trackback0

レフ・トルストイ イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ


 トルストイの中篇二作を収めた光文社古典新訳文庫の一冊。トルストイは恥ずかしながら初めて読んだ。ロシア文学というと昔ドストエフスキー(「死の家の記録」だったと思う)を読んであまりの長さ・くどさに辟易してその後敬遠していたのだ。その後ロシア・ソ連文学ではストルガツキーとエフレーモフなどSFは読んでいたが、ロシアの純文学を読むのは25年ぶりくらいだ。
.29 2006 東欧・ロシア文学 comment0 trackback0

バーンスタイン/ボストン響 ベートーヴェン・交響曲第7番


 先日始まったドラマ「のだめカンタービレ」。原作のマンガは絵がどうしても好きになれなくて1巻でギブアップしたが、玉木宏・上野樹里主演のドラマはとても面白い。このドラマでベートーヴェンの第7交響曲がテーマ曲のように使われていたので、ちょっと引っ張り出して聴いてみた。

.28 2006 クラシック音楽 comment0 trackback0

読みたい!!

いま私が読みたいと思っている本を紹介しておこう。

スペインの作家、フリオ・リャマサーレスの「黄色い雨」(ソニーマガジンズ)。
『この小説を読むことで、あなたの世界は全てが変わってしまうだろう
沈黙と記憶に蝕まれて、すべてが朽ちゆく村で、亡霊とともに日々を過ごす男。「悲しみ」や「喪失」といった言葉はこの小説には必要ない。悲しみや喪失は、ここには空気のように偏在しているから。なのに、なぜ、すべてがこんなにも美しいのだろう?』
いい紹介文だ。読みたくてうずうずしちゃうぞ。
装丁もなんだかとてもよさげである。

ロシアの女流作家リュドミラ・ウリツカヤの「それぞれの少女時代」(群像社)。
『体と心の変化に気づきながら、性への好奇心をもてあましぎみに大人の世界に近づいていく、ちょっとおませな同級生の女の子たち。
スターリン時代も終わりつつあるソ連社会の中で、精一杯生きていた少女たちの素顔を、ロシアでもっとも愛されている女性作家が6編の物語で描きあげる』
この時代のソヴィエトの少女達がなにをどう考えていたのかとても興味深い。だってソヴィエトの少女小説なんてほかに知らないし。
同じ作家の「ソーネチカ」(新潮社)も注目。

セネガルの作家ファトゥ・ディオムの「大西洋の海草のように」(河出書房新社)
『母国セネガルでは共同体社会から疎外され、移り住んだフランスでも困難な生活を余儀なくされるサリ。しかし彼女は、複数の文化と言語を自らのアイデンティティとして、薄紫色のインクで言葉を紡ぎつづける。セネガル出身作家の自伝的小説。』
アフリカの現代小説!それだけでパワーあふれるなにかを感じられそう。

そして今年のノーベル文学賞を獲ったトルコの作家オルハン・パムクの「私の名は紅」(藤原書店)
『舞台は黄昏のオスマン・トルコ帝国、東西文明が交錯する都市イスタンブル。細密画師たちの苦悩と葛藤を描く歴史ミステリー小説。32ヶ国語に翻訳された世界的ベストセラー。現代トルコ文学の代表的作家、本邦初訳。 』
トルコという国自体独特のスタンスの国なわけで、すごく面白そうなんだけど、値段が…

 こうやって読みたい本並べてみるとどれも今ひとつなじみのない国の作家ばかり。異文化に触れてみたい気持ちが強いのかな。
どれも値段が高いのがつらい。「私の名は紅」はなんと3700円(税別)と激高。でもこれは分厚いハードカヴァーなのでまあいいとして、「それぞれの少女時代」はわずか200ページほどで、装丁もソフトカヴァーなのに1800円。あんまりだ。
.27 2006 本についての雑記 comment0 trackback0

クローンねこ 2

 先日のニュースで驚いて記事にしたクローンねこ。意外なことに、近所にもいた。
こちらはドナーのキナトラ


そしてこちらはクローンのマサオ

実はマサオはまゆまゆの実家の近所の洋服屋さんの飼い猫マリちゃんが生んだ父親不明の子猫。このマサオの父親ではないかと近所で噂されているのがキナトラというわけだ。確かに小さな目も太い足も似ている。
.26 2006 ねこ comment0 trackback0

ストルガツキー 地獄から来た青年


 「アライ公国」と「帝国」が激しい戦いを続ける惑星ギガンダ。瀕死の兵士ガークは地球人に救い出されるが…

 この作品は「蟻塚の中のかぶと虫」をはじめとする「マクシム三部作」や「神様はつらい」と同じ世界の物語である。この世界ではコムコンという組織が他の惑星の進歩を手助けするためにプログレッサー(進歩官)と呼ばれる人々を各惑星に派遣している。「神様…」でアントンがアルカナル王国に、「蟻塚…」ではレフ・アバルキンが惑星サラクシや「希望」に派遣されていたように、この作品でもギガンダに派遣されるプログレッサーらしき人物が登場する。ガークの世話係(?)コルネイももともとはプログレッサーらしい。
 コムコンのやっていることは内政干渉に他ならない。東欧やチェチェンを押さえ込むのと程度の差こそあれ、いかにもソヴィエト連邦らしいやり方といえるだろう。

 この作品ではコムコンのやっていることは背景にすぎず、戦争しか知らないガークが平和な地球での暮らしで受けるカルチャー・ショックが主に描かれる。ロボットのドランパに軍事教練を行ったりするあたりは滑稽ともいえるが、作者は戦争の地獄から平和ボケの地獄へやってきた青年の戸惑いと選択を通じて「正義」とか「幸福」の価値観に絶対と言うものがないことを描こうとしているようだ。

 さてここから先は「蟻塚の中のかぶと虫」とのつながりから見ていくことにする。(ネタバレを避けるために非常に重要なことを書かないので、とてもわかりにくいと思いますがご了承ください)
 問題はコルネイと言う人物だが、この人物はコルネイ・ヤノーヴィッチ。同名の人物が「蟻塚…」に登場する。ハードカヴァーの102ページ、文庫の163ページにコルネイ・ヤノヴィッチ・ヤシマアと言う人物の記載がある。
 かれは惑星ギガンダの専門家で「ヤンのキャンプ」と言われる土地に住んでいる。この内容が一致するので同一人物と考えていい。だがドランパはコルネイが引退した父のヤンにこの土地を譲られたと言っているが、「蟻塚…」でマクシムはコルネイが遺児で彼の両親は「鏡」実験で死んだと言っている。これは遺児になったコルネイをヤンが引き取ったというところか。

 コルネイと同じ歳のレフ・アバルキンが生まれたのは38年。「蟻塚…」の物語は78年なのでコルネイは40歳である。「地獄…」ではドランパがコルネイは60歳くらいと言うのでそれが正しいとすると「地獄…」は「蟻塚…」の約20年後。「波が風を消す」が99年なのでほぼ同じ時期である。
 ドランパが言うには、コルネイには推定25歳のアンドレイと言う息子がいる。ここは一番の疑問点である。「蟻塚…」の時点でアンドレイはすでに生まれていたわけで、あのシコルスキーが、コルネイのような立場の人物が子供を持つのを容認するとは思えない。ドランパもコルネイの妻については情報がないというし…とするとこれも義理の息子?
 「波が風を消す」と同時期と言うことは、地球では類人類の独立が始まったころと言うわけである。そういう風に考えていくと非常に興味深い。それにしてもコルネイに危険性なしとして地球に住むのを許可したのはだれだろう?

 ただしストルガツキー兄弟がもともとそこまで考えて書いたのかは疑わしい。この本を手にとる方は、シリーズ物として他の作品を意識する必要はないと思う。
.25 2006 ストルガツキー comment0 trackback0

梨木香歩 西の魔女が死んだ


 登校拒否になってしまった中学生のまいは、おばあちゃんの家で過ごすことになる。おばあちゃんはイギリス人で、魔女だった。

 評判の高い作品である。自分の本棚でちょっと今読む本が見当たらず(『百年の孤独』、『冬の夜ひとりの旅人が』はまだ読むつもりはない)、財布の中が早くも木枯らし状態なので古本すら何も買えない私は、まいと同じ中学生の長女RINRINの本を借りて読んでみた。

 作者のプロフィールを見ると英国に留学していてそこで児童文学を学んだらしく、この作品も随所に、英国の香りが漂う。そこがこの作品の魅力でもあり、弱点でもあるといえるだろう。まいが祖母のもとで生きる力をゆっくり回復していく過程を見事に描き出していてとてもいい作品だとは思う。それが英国人の祖母の、イングリッシュ・ガーデンを思わせる家と庭を舞台に展開するのだが、英国風である必然はどこにあるのだろうか?
 そういえば「キッシュ」という料理が登場するのだが、イギリス料理なんて全くわからない私は、どんな料理かネットで調べてみたりしてしまった。あんまりうまそうじゃなかった。

 ラストシーンも、読んでいる時はそれなりに感動したのだが、後になって思うとあまりにもありきたりすぎやしないだろうか。「オズの魔法使い」を思わせるタイトルも実はネタバレだし。

 余白に収められた「渡りの一日」の方がいい。とは言っても「西の魔女…」を読んでから読まないと意味不明かもしれないが。これはまいと友達のショウコのある一日を描いた短編で、軽妙でユーモラスで説教臭くない。なによりまいが「西の魔女…」よりもずっと前向きになっているところがいい。

 と思いつくまま書いたけど、基本的にいい本です。ハリー・ポッターあたりが好きな中学生くらいの女の子は読むといろいろと考えさせられるだろう。
 大人が読むにはちょっと物足らない気もするが、きっと他の作品で本領を発揮しているんだろうと思う。でもたぶん私は読まないだろうな。基本的に英国ぽいのが苦手なので。(エールビールを除く)
.23 2006 日本文学 comment2 trackback0

マイケル・ヘッジス Beyond Bondaries


 ピアノをやめちゃったMINMINはギターをやると言って練習を始めたがやはり三日坊主だった。そんな彼女だが、耳はいい。ある日車でアル・ディメオラの「Race With Devil On Spanish Highway」を耳にすると「なんでこんなに早く弾けるの!?」と唖然としていた。
 私はディメオラやパコ・デ・ルシアが好きなのだが、そんなのばかり聴いていると、たまに高中正義なんか聴くとすっごく音が少なくて、さびしい音楽を聴いている気になってしまうのだった。

 さてマイケル・ヘッジスというギタリストのことはウインダム・ヒルのアーティストとして知ってはいた。ウインダム・ヒルといえばニューエイジ・ミュージックの代表的なレーベルで、ピアノのジョージ・ウィンストンが有名。確かにヘッジスの演奏にもウィンストンに通じるものがあるが、ウィンストンのピアノが技術的には普通だったのに比べ、ヘッジスのアコースティック・ギターのテクニックは驚異的なものであった。

 …というのが前知識としてはあったのだが、私は彼の演奏をちゃんと聴いたことがなくて、彼の代表作「Aerial Boundaries」を聴きたいと思ったのだが、現在国内盤はカタログにないようだ。で、TSUTAYAで20曲入り、すべてのトラックが彼のソロ演奏というベストアルバム「Beyond Bondaries」を借りてきて聴いてみた。

 これはすごい。確かに超絶技巧だ。とてもひとりで弾いているとは思えない部分もある。それでいてアル・ディメオラなどのような驚くような早弾きで技術を見せつけるわけではなく、音楽が自然に流れて聴きやすい。

 なんでも彼はギターに独特のチューニングを施すらしい。例えば「Aerial Boundaries」と言う曲では CCDGAD(5,6弦がオクターブ)という極めて独特のもの(『そんなの弾けるの?』by MINMIN)だし、そのほかにも様々なチューニングを使って演奏するらしい。私は楽器についてはよくわからないのでそのへんは他のページに譲るが、そうやってギターの奏法の自由度を広げたパイオニアだと言っていいだろう。現在活躍する押尾コータローあたりはこの人の影響を色濃く受けている。

 それら超絶技巧や異色のアイディアを消化して当たり前なアコースティックでナチュラルな音楽に仕立てているところがまた、いい。だからこれはウィンダム・ヒルらしくBGM的に流して聴いてもいいし、集中してよく聴くとその技術とアイディアの懐の広さに驚かされてしまう、一枚で二度おいしいアルバムである。

 マイケル・ヘッジスは1997年自動車事故で亡くなった。まだ40歳そこそこだった。惜しい。
.22 2006 ジャズ comment2 trackback0

ジュール・シュペルヴィエル 海に住む少女


 シュペルヴィエルはウルグアイ生まれのフランスの詩人・作家。この「海に住む少女」は彼の短編のセレクションで10作が収められている。たった今読み終わったので早速レヴューを。

 冒頭の表題作「海に住む少女」はたった一人で海の真ん中の町に住む少女の物語(物語と言うほどのストーリーがあるわけでもないが)である。いきなりこの作品でこの作家独自のファンタジーが炸裂する。この短編が好きかどうかでこの本が気に入るかどうか判定できると思う。それほど独自の、強烈な世界観を持った作品だ。

 私はと言うと、この作品の底に流れる冷やっこさがどうも好きになれなくて、ましてや「セーヌ河の名無し娘」や「空のふたり」といった死後の世界モノは独特の耽美な世界を表現しているのはわかるのだけど、ちょっとついていけない。
 「競馬の続き」では騎手だったリュフが馬になってしまい、最後には自分を裏切った婚約者を殺害してしまう物語だ。とてもおもしろいのだが、馬になるということがなにを象徴したのか理解できなかった。
 「足跡と沼」は陰惨な殺人事件を描いた、この本の中では異色の作品。ガルシア・マルケスの短編になりそこなった感じの作品である。
 聖書の外伝ともいえる「飼葉桶を囲む牛とロバ」と「ノアの箱舟」は好きだった。特に前者はアルヴォ・ペルトの音楽を思わせる美しい作品。

 詩人が書いただけあって詩的な、イメージの飛翔するファンタジー集である。好きな人はハマるだろう。
 死人が多いせいか全体に冷やっこい印象がある。私は同じファンタジーでも南国的・開放的だったロダーリ「猫とともに去りぬ」の方がずうーっと好きだった。フランスとイタリアの気候の差だろうか。それとも料理の差?
.20 2006 フランス文学 comment0 trackback1

ジョゼと虎と魚たち


 2003年 日本
監督:犬童一心
出演:妻夫木聡 池脇千鶴 上野樹里

大学生の恒夫は、乳母車に乗って祖母と散歩するのが日課の自称・ジョゼこと、くみ子と知り合う。くみ子は足が悪いというハンディキャップを背負っていたが、自分の世界を持つユーモラスで知的な女の子だった。そんな彼女に恒夫は惹かれていく。やがてくみ子も心を許すが…

以前から評判の高い映画だがなかなか観る機会がなったのだが、今日BSジャパンで放送されていたのを観てしまった。
 最近日本映画を何本か観て、結構レベルの高いものが増えた事を実感するが、これはそれらの中でも最高と言っていい作品である。
 まず俳優がみな素晴らしい。主演のぶっきらぼうだが魅力的なジョゼを演じる池脇千鶴はいつもながら鬼気迫るといってもいいほどの名演技である。
 妻夫木聡はこの掴み所がなくて優柔不断な今の若者らしい恒夫という役を見事に演じきっているし、憎まれ役の上野樹里もいつもののほほんとした彼女と違うキャラを好演している。

 障害者というとても扱いにくい題材をストレートに扱いながら、そのことを過度に取り上げるわけでもなければ、キレイ事にすることもなく、物語の一つの要素としてリアルに描いているところがすごい。韓国映画のように「泣き」に逃げ込む姿勢も全く感じられない。映像もリアル志向で、汚いものは汚いままに描いてしまう。日本映画らしい抑制した演出で最高の効果を挙げた作品といってもいいだろう。

 印象的なシーンがいくつもある映画だが、ラストで、ジョゼと別れた恒夫がヨリを戻した元カノと連れ立って歩きながら、いきなり大泣きするシーンにはどきっとした。いいかげんな恒夫にも、ジョゼとの恋こそが一生に一度の恋だったことがわかっていたのだ。そして電動車椅子で突っ走るジョゼの背中に何がみえるだろう。「悲しみ」とか「諦念」とか、そんなものではない。ではなにか? それがなにかを考えなければいけない、それが気になって反芻する。これはそういう作品であった。

 ただベッドシーンが多くて長いのにはちょっと辟易してしまった。必要なセリフだけあれば性描写は必要なかったはず。
 また私はさっき恒夫のことを「今の優柔不断な若者」と言ったが、その今風の若者に共感できなければこの映画を観るのはつらいかもしれない。

 BSジャパンは民放なので仕方がないのだが、途中でCMが入り、しかも音量が本編より3レベルくらい高いのにはうんざり。しかもエンドロールもなしでぶつっと終わってしまうのはちょっと…せっかくのハイヴィジョン放送も台無しだった。
.19 2006 映画(日本) comment0 trackback0

春のワルツ


 さて韓流というと最近は以前ほどの勢いはなくなったようだが、韓流ブーム以降韓国映画はごく当たり前に公開されるようになった。以前は公開されたにしてもほとんど注目されなかったわけで、レヴェルの高い韓国映画をたくさん見聞きできるようになったというだけでも韓流ブームの意義はあったといえるだろう。

 その韓流ブームの発端となったのがユン・ソクホ監督のご存知「冬のソナタ」だった。実はこのドラマがNHK-BSではじめて放送していた頃すでに、うちのまゆまゆとRINRINは「これおもしろいんだよね~」とか何とか言って観てた。RINRINは美容院にチェ・ジウ扮するユジンの写真を持っていってユジンカットにしてもらったりしてたようだ。
 その後「冬のソナタ」がブームになった頃にはWOWOWで放送していた「夏の香り」にハマっていた。これはソン・スンホンとソン・イェジンの美男美女コンビのラブ・ストーリーを韓国の夏の美しい映像と音楽で綴った傑作だった。あまり韓国ドラマらしくはないけど。(だから『私韓流にハマってます』みたいな人にはあまり人気がないようだ)

 他の韓国ドラマってまともに見たのは「チャングム」だけである。後の作品は韓国ドラマ特有の人間関係およびストーリーの暑苦しさが苦手で見ていない。「チェオク」は面白かったがあまりに濃い内容に辟易して途中で挫折してしまった。

 で、ユン・ソクホ監督の最新作「春のワルツ」の放送がNHKで始まっている。第1回がオーストリアが舞台で始まって、第2回になるといきなり15年前の回想になるあたりはさすが韓国ドラマ。いつもながら美的感覚・映像センスはすばらしい。第2回では麦畑や菜の花畑の風景が印象的だった。
 韓国ドラマは日本の昼メロくらい製作スケジュールがきついらしいが、それでこのクオリティと言うのは恐れ入る。
 それにしても、もしユン監督にもっと時間をかけて撮影できる映画を撮らせたらどうなるのだろう。

 物語はまだ始まったばかりなのでなんともいえないが、今回の主役、ソ・ドヨン、ハン・ヒョジュ、それにダニエル・へニーのフレッシュなキャストにも好感が持てる。今後が楽しみである。

 このドラマ、ハイヴィジョンで製作されているらしい。そのうちハイヴィジョンでも放送してくれるかなあ。
.18 2006 TV comment0 trackback1

イタロ・カルヴィーノ まっぷたつの子爵


 イタリアを代表する作家カルヴィーノ「木のぼり男爵」「不在の騎士」とともに三部作をなす時代小説シリーズの一作。

 テッラルバのメダルド子爵はトルコ軍との戦争で大砲の直撃を受けてしまう。右半身だけとなりながら奇跡的に生き残ったメダルドはテッラルバに戻ってくるが、半身となったメダルドの心には悪だけが残っていた。テッラルバの住人を虐げるメダルド。そこに善の心を持ったメダルドの左半身が戻ってくる。

 170ページほどの短い物語で、三部作の中でももっとも規模の小さい作品である。読み出したらあっと言う間に読み終わってしまうが、それは短いからだけではない。童話仕立てでとても読みやすい作品だ。訳者河島英昭氏もおそらく多少年齢の低い読者を意識して訳されたのだろうと思う。前に読んだ二作と感触が違うのは訳の違いによるものもあるのかもしれない。

 しかし、その分寓意性は、主人公が木から降りない事を除けばかなりマトモなビルディングスロマンといえる「木のぼり男爵」よりもはるかに強い。
 悪のメダルドによる恐怖政治のさなか、善のメダルドの登場で好転するかに思われた事態はさらに深みにはまって行く。善と悪の両極端に分裂したメダルドはとても始末におえないのだ。善と悪は表裏一体だからである。
 だいたい「善」だの「悪」だのという概念はその社会の価値観によって決定される。この物語に描かれる中世ヨーロッパの社会における価値観はキリスト教のそれで、だからこそ「きのこ平」の住人の堕落した暮らしぶりは「悪」となる。悪のメダルドは「きのこ平」を無視して放置するが、善のメダルドは「きのこ平」の人たちをなんとか立ち直らせようとして煙たがられることになるのだ。

 やがて二人のメダルドはパメーラという娘を奪い合って戦う。しかしお互いの剣は相手の存在しない半身を突くばかりである。この戦いのさなかのハプニングで、半身のメダルドはまた一つに戻り、まっぷたつになる前よりも「完全」な人間になるのである。だが、『世界じゅうの人々が完全になるためには、完全な子爵ひとりでたりるはずはなかった』と作者は述懐する。この作品が書かれたのはまだ第2次大戦の終わったばかりの1950年である。あの戦争でまっぷたつになったのは人類社会そのものだった。先の大戦を経験したカルヴィーノは完全な世界を夢み、しかしそれが成就するはずもない願いだと知っていたのではないだろうか。
.16 2006 イタリア文学 comment4 trackback1

メータ/ホルスト 惑星ほか


 ズービン・メータがロサンジェルス・フィルを指揮してホルストの「惑星」を演奏したCD…なのだが、実はこのCD、少なくとも私にとっては『「惑星」ほか』の『ほか』の部分が結構重要だったりする。
 実は「惑星」の後に「スター・ウォーズ」組曲が入っているのだ。この「スター・ウォーズ」は後にエピソードⅣ「新たなる希望」と呼ばれる第1作の映画が公開された直後の1977年末に録音され、「未知との遭遇」とのカップリングで発売されていた。たしか銀色に「STAR WARS」のロゴが描かれたジャケットだったと記憶している。兄がサントラではなくこのLPを買ってきたので、そのころ中学生だった私は、この演奏で初めてスター・ウォーズの音楽に触れたのだ。

 当時一流の指揮者とオーケストラがサントラでもないのに映画音楽を演奏するというのはとても珍しかったので、そういう意味でも話題になったレコードだった。
 その後いつの間にかLPを失ったので聴く機会がなかった。もう発売されていないものとあきらめていたら先日、記事がSWだけという、徹底した素晴らしいブログ「スター・ウォーズ好きOL」で「惑星」とカップリングで発売されていることが紹介されていて、28年ぶりに買うことができた。

 改めて聴いてみる。サントラよりも柔軟なテンポで壮大なイメージをかきたてられる演奏になっている。冒頭粘っこく始まりやや遅いテンポでSWのテーマが鳴り響く。その後中間部ではテンポが上がり、サントラよりもドラマティックな展開で聴かせる。サントラはこれに比べると一本調子とも言えそう。反面こっちはちょっと重い印象がある。聞き比べると面白いと思う。
 SWからは酒場のバンド音楽を含め6曲。レイア姫のテーマとパドメのテーマが同じだとか、このアルバムではダース・ベーダーのテーマが演奏されていないとか改めて気がついた。

 このCDのメイン、「惑星」の方は、あまり好きな曲じゃない(特に「木星」。なんだか平原綾香が「jupiter」として歌った中間部のメロディーが、他の部分と脈絡なく聴こえるのは私だけ?)ので意見を述べる立場にないが、演奏としては堂々とした立派なものだと思う。これで1000円はとても安いと思う。
.15 2006 クラシック音楽 comment2 trackback1

クローンねこ

 asahi.netの記事によると、米カリフォルニア州のジェネティック・セービングス・アンド・クローン(GSC)社が、年末に廃業するそうだ。
 それって何の会社?と思うでしょ。この会社の事業内容が、聞いてビックリ。『あなたの飼い猫のクローン猫を作ってお届けします』というのだ!
 詳しくは同社HP(当然英語だ)で見ていただくといいだろう。これはドナーから抽出したDNAを人工授精させ、代理母に出産させるシステムで、料金は32000ドル(約380万円)なり。高い。
 このHPの「Our Latest Clones」のコーナーではドナーとクローンの写真も載っている。
こちらはドナーのニッキー
nicky.jpg

そしてクローンのリトル・ニッキー
nicky_little.jpg
確かにそっくりだが微妙に柄が違う。このニッキーは足の色が全然違うし、目の色も違う。遺伝子が同じでも全く同じ柄や色になるとは限らないのだそうだ。このへんもあってか今ひとつ業績が上がらず今回の廃業となったようだ。もちろん値段の高さもネックだっただろう。だって血統書つきの普通の子猫が何十匹か買える価格だもんね。

それにしてもクローンを商売にしちゃうなんて、アメリカ人恐るべし。こんなSFみたいな会社が実際に営業していたなんて知らなかった。ちなみにこの会社、日本でもこの商売をやろうとしたらしいが反発が強くて開業しなかったようだ。
.14 2006 日記など comment2 trackback0

ウイリアム・シェイクスピア シンベリン


 「シンベリン」はシェイクスピアの後期の作品で、「テンペスト(あらし)」に代表されるいわゆる「浪漫劇」4作のうちの第2作に当たる。

 シェイクスピア作品としては他のものほど有名ではない作品なのでストーリーを紹介しようと思ったのだが、そこはシェイクスピアの作品、ご多分に漏れずきわめて錯綜したストーリーなので簡単にまとめるのは難しい。タイトルロールのシンベリンはブリテン王だが出番は少なく、主役はシンベリンの娘イモージェンだと言っていいだろう。イモージェンには夫ポステュマスがいるが、シンベリンに無断で結婚したためポステュマスは追放されローマへ。そのポステュマスはローマで知り合ったヤーキモーとイモージェンを誘惑できるかどうかで賭けをする。ヤーキモーが奸計で盗み出したイモージェンの腕輪を見てポステュマスはイモージェンの裏切りを信じてしまう。嫉妬に狂ったポステュマスはイギリスにいる自分の召使にイモージェンを殺害させようとするが、召使の機転でイモージェンは男装して森に逃れる。ここでイモージェンとであったのが幼少の折行方不明になったシンベリンの二人の息子(イモージェンの兄)。
 これにシンベリンのイモージェンに横恋慕していて何が何でも手に入れたい後妻の息子クロートンなどが加わり物語はシェイクスピアらしく錯綜しながら進んで行く。

 で、わかりにくいかと言うと全然そんなことはない。400年前の物語でハラハラドキドキさせられる、そこがこの文豪のすごいところだと思う。特にこの作品は裏切られたと誤解するカップル、男装する女性、毒を盛る悪女、行方不明の王子、そして戦乱とシェイクスピア劇の重要キーワードをほとんど網羅していて盛りだくさん。そういう意味でもシェイクスピアらしい作品である。あまり知られていなのは残念。音楽作品や映画も目立ったものは見当たらない。

 ところで…シェイクスピアって女性の登場人物が身分を偽るために男装するパターンがすごく多い。当時本当にそんなことがよくあったのだろうか?
 多分女性がなにかの理由で森などに逃げ込まないといけないとしたら、女性の格好のままではいられなかったと言うのはわかるけど。当時の喜劇のお約束の一つだったのだろうか?
.13 2006 シェイクスピア comment0 trackback0

ウィーンの森バーデン市立劇場 フィガロの結婚


 佐世保アルカスで上演されたウィーンの森バーデン市立劇場によるモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」を観てきた。私の街でのプロの団体によるオペラの上演は数年ぶり。だいぶ前に「魔笛」を観に行った覚えがある。
なにしろチケットがオペラとしては異常に安かった(一番高い席で7000円)のでさして期待せずに出かけた。私はその中でもさらに安い2階席で観てきた。

 結論から言えば想像以上に素晴らしい出来だった。ローカルの、とても一流とは言えない団体なのだが、オーケストラはかなり小編成だがきびきびと音楽を進めていき小気味よいし、舞台装置もシンプルなものだがなかなか機能的に工夫されている。若手揃いの歌手達の歌唱のレヴェルは高いし、みななかなか容姿端麗。(ちなみに上のチラシの写真とは全く違う歌手だった)歌手はフィガロ役Martijn Sanders、スザンナ役Siphwie Mckenzie、伯爵役Paul Armin Edelmann、伯爵夫人Elisabeth Flechlという面々。特にSiphwie Mckenzieはエキゾチックな美人でスタイルもいい。スター性十分だと思う。ひそかに注目しよう。

 字幕が音楽の説明まで入ったり、訳文が自動翻訳臭かったりちょっとわかりづらかった。あれでははじめてこのオペラを観た人はストーリーがよくわからなかったのではないだろうか。ここだけはぜひ改善してほしい。
 それにしてもこういうレベルの高い公演(有名団体でなくていい)が地方でももうちょっと頻繁に見れると嬉しいんだけど。
 それにしてもオペラって長い。これは6時半に始まって、終わったのは9時40分。お腹すきました。
.12 2006 クラシック音楽 comment0 trackback0

逆境ナイン


2005年 日本
出演: 玉山鉄二、堀北真希、田中直樹、 藤岡弘
監督: 羽住英一郎

 かつて一勝も挙げたことのない弱小・全力学園野球部キャプテンの不屈は校長から突然、廃部を言い渡される。不屈は廃部をはね返すために甲子園に行く事を校長に約束してしまう。
 かくして不屈による猛特訓が始まるが、ナインの面々を様々なトラブルが見舞う。様々な“逆境”と戦いながら、夏の甲子園県予選に出場し勝ち進むが…はたして野球部の運命は?

 夏休みにWOWOWで放送していたものをRINRINのリクエストで録画したままHDDに放置していた物をやっと観た。
 島本和彦原作の1989年から1991年に描かれたマンガを映画化した作品。もともと島本和彦というと異常にテンションの高いコミカルな熱血マンガがウリの作家で、私もこの原作の第1巻だけは読んだ。とても面白かったのだが続きは高価だったので読んでいない。この映画ときたら、このハチャメチャな原作を(少なくとも私の読んだ範囲では)忠実に映画化している。

 冒頭の校長・藤岡弘の「廃部だッ!」のセリフから原作同様の異常なハイテンション。CGを使ってまでの頭が下がるほど徹底したバカぶり。ルール無用の試合風景など、あまりのバカバカしさにおそらく我慢ならない人もいるだろうが、この映画の眼目は試合をリアルに描くことなどにはなく、ファンタジーとしての「熱血」を追求した物なのだ。結果、昔のスポコンマンガを現実にやるとこんなに笑えると言うショウケースになった、と言えなくもないか。

 主役・玉山鉄二をはじめ出演者全員が好演。ココリコ田中のわけわからん監督が最高。堀北真希はかわいい。(←ってそれだけかい!)

 そうとうめちゃくちゃな映画なのだが、なんとなく共感し、感動してしまうすごく妙なパワーを持った映画。元気のないときに観ると元気が出そう。原作もちゃんと読みたくなった。
.11 2006 映画(日本) comment0 trackback0

ガルシア・マルケス わが悲しき娼婦たちの思い出


 2004年発表のガルシア・マルケスの最新作。川端康成の「眠れる美女」にインスパイアされたという120ページほどの中篇である。
 まず書き出しの強烈な一行に唖然とする。「満90歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」というのである。この一行に現れている通り、この作品の主人公は川端の主人公よりも能動的である。そこからこの作品は川端の作品とよく似たプロットをたどりながらも、川端の主人公の老人の意識が眠る若い娘を媒体にどんどん過去へと流れていくのに対し、ガルシア・マルケスの主人公は90歳という高齢をまるで感じさせないほど未来を向いている。

 川端では主人公は枯れてしまった老人で、添い寝する少女はだれでもいい。だから宿を訪れるたびに違う少女と添い寝するのだが、まだまだ女を愛したいという気持ちが強いガルシア・マルケスの主人公の老人は毎回同じデルガディーナ(この名前も彼が勝手につけたのだが)と添い寝するのだ。
 この作品でガルシア・マルケスは川端のプロットを拝借しながら、川端の耽美志向とは全く正反対の方向へ向かっていく。元気な、別の言い方をすると生臭い、もっと言えばエロジジイを健康的に、今はやりの言い方で言えば『純愛』の方向性で描いている作品である。読後感も爽やかで明るく、ガルシア・マルケスの作品としては異色の作品といえるかも。

 ところでガルシア・マルケスが川端の「眠れる美女」を引用したのは今回が初めてではない。「十二の遍歴の物語」に収められている「眠れる美女の飛行」と言うわずか数ページの短編が「眠れる美女」のプロットのヴァリエーションであった。これも含めて読み比べてみるのも一興かも。

 さて冒頭の一文が強烈なのはこの作者のほかの作品にも見られる特徴で、たとえば「予告された殺人の記録」は「自分が殺される朝、サンティアゴ・ナサールは…」という衝撃的な文章で始まる。
「迷宮の将軍」では「古くから仕えている召使のホセ・パラシオスは、薬湯を張った浴槽に将軍が素っ裸のまま目を大きく見開いてぷかぷか浮いているのを見て、てっきり溺れ死んだと思い込んだ。」
 私はまだ読んでないのだが「百年の孤独」は「長い年月がたって、銃殺隊の前に立ったとき…」と始まるらしい。このへんもこの作家の読む者を強烈に惹きつける魔力のひとつと言えるだろう。
.09 2006 中・南米文学 comment0 trackback0

鉄人28号


2005年 日本
出演: 池松壮亮、蒼井優、薬師丸ひろ子
監督: 冨樫森

 昔のアニメが実写映画化されるのが一昨年ごろから流行した。「キャシャーン」「キューティーハニー」はある程度評価され、「デビルマン」は最悪とまで言われた。
 さて「鉄人28号」は…? 公開当時からさして評判にもならなかったし多分つまらないんだろうと思いながら観た。
 はっきり言って上に挙げた三作よりも映画にするには無理がある原作と言っていいだろう。原作において、金田正太郎少年は普通の子供ではない。車を運転し拳銃を撃ったりもする。そんな主人公が映画で通用するはずもないので、映画の金田少年はフツーの男の子になっている。
 鉄人のデザインは21世紀の今の子供たちの目にはただ一言「ダサい」としか写らない。実際に一緒に見ていたMINMINが「鉄人ダサッ!!」と絶句していた。逆にスーパーロボットではない鉄人の持ち味は出ていた。だが若い観客には受けないだろうなあ。
 以前プレステのゲームで「リモートコントロールダンディ」と言うのがあって、のろのろ動く巨大ロボットをプレステのコントローラーで操って戦うゲームなのだが、子供たちはそっちの感覚で観ていたようだ。

 CGがあまりにも軽い作りで、鉄人とブラックオックスの重量感が感じられなかったのが残念。あれだけ殴り合ってるのに表面がへこむことも汚れることもない。だから今ひとつバトルに現実味がない。
 金田少年役の池松壮亮クン、母親役薬師丸ひろ子は好演。
父親役の阿部寛は…どうもこの人が画面に出てくると「どんとこーい」と言い出しそうでいけない。敵役の香川照之はただただヘン。蒼井優はかわいい。(←ってそんだけかい!…残念ながらこの映画ではそんだけでした)

 私が観てていくつもヘンに思った事があるので述べていくと、
①まずこの映画の時代背景がヘン。おそらく2005年の物語なのだが、金田君は原作どおりの半ズボン。半ズボンはいているガキなんか20年前に絶滅してるはずだが。その他大塚警部や綾部老人の運転手などが異常なレトロファッションが跋扈している。
②ブラックオックスが大暴れしているのに自衛隊は出動しない。警官隊が銃撃するだけ。
③なぜか自爆ボタンを押してから10分経たないと自爆しないブラックオックス。
④鉄人、大気圏脱出能力があったのね。しかもブラックオックス抱き上げたまんま…

 まあ結論から言うと話のタネに観るくらいの価値しかない映画だ。でも最後にあのオリジナルのままの主題歌(新録音らしい)が流れたのは嬉しかった。
.08 2006 映画(日本) comment0 trackback0

ゾルバ普及計画


ふらりと立ち寄った古本屋さんで「カモメに飛ぶことを教えた猫」のハードカヴァー版を発見!たったの200円だったので思わず買ってきた。この本はpiaa家の課題図書に指定(?)されている。我が家のふたりの娘RINRINとMINMINもすでに読んでいて、普段本を全く読まない妻のまゆまゆも「読もうかなあ」などと言っている。
 せっかく同じ本を2冊も持っている事になったのだから、RINRINとMINMINの友達にでも貸し出して「ゾルバ普及計画」を始めようかと考えている。

 vogelさんのブログで「ゾルバのほかの話も読みたい」と書いたが、作者はゾルバの別の物語は書いていないようだ。我こそは、と思う方ぜひ書いてみてください。
ではここからはゾルバ・ギャラリー。まずは英語版カヴァー
zorba_eng.jpg
次はドイツ語版カヴァー
zorba_ger.jpg
さらにフランス語版カヴァー
zorba_fra.jpg
最後はスペイン語版カヴァー
zorba_esp.jpg
日本語版も含め、どれもなかなか味がある。
.07 2006 ねこの本 comment6 trackback1

ジェイムス・ブリッシュ 宇宙大作戦・メトセラへの鎮魂歌


  ジェイムス・ブリッシュによる、TV版「宇宙大作戦」のノヴェライズの第5集。
 表題作「メトセラへの鎮魂歌」はTV版の邦題が「6400歳の恋」というエピソードで、TVで観たときも、とても印象的だったエピソードである。
 エンタープライズ艦内でリゲル熱という伝染病が発生、特効薬のライタリンを手に入れないとエンタープライズは全滅してしまう。ライタリンを探して訪れた惑星でカークたちはこの星に住むフリントと言う男性と出会う。カークたちがフリントの住居を訪れてみるとそこには未発見のダ・ヴィンチの絵画やブラームスの楽譜があり、そして美しく聡明な若い女性レイラがいた。カークとレイラは惹かれあうが…という物語なのだが、実はレイラはアンドロイドだったという驚くべき結末で、しかもこのレイラ、ある意味でのちのデータよりも進んでいるのではないかとも思われる。
下の写真はTVシリーズのこのエピソードからのワンシーン。


 そのほか自分の星が滅んでもなお仇敵を追い続けるという、「最後の戦場」、かつて愛したカークに殺意を抱く女性ジャニスがとった驚くべき行動を描く「生命体交換」、生存不可能なはずの惑星に住む人々はある種のウイルスに感染していたという「二度目のエデン」など、アメリカSFの見本市のようなシリーズである。今回は何本かTVで観たおぼえがある作品があった。「エデンへの道」は画面に出てくるキャラクターががあまりにも古臭かったので、小説の方が楽しめた。
.06 2006 スタートレック comment0 trackback0

ガルシア・マルケス 幸福な無名時代


 ガルシア・マルケスのジャーナリスト時代のルポルタージュをまとめた作品集。
 ガルシア・マルケスはデビュー前の1955年、ボコタの新聞「エル・エスペクタドール」の記者として渡欧するが、この新聞がすぐに廃刊となってしまい、ヨーロッパに放り出されてしまう。その後ベネズエラの雑誌「モメント」の記者になってカラカスに住み着くことになる。

 この本に取り上げられたのはベネズエラでのルポ13編で、この時代のベネズエラは独裁政権の崩壊という激動の時代であった。この本でも冒頭の『市民が通りを埋めた日』で独裁政権の崩壊が、『戦う聖職者』ではそのサイドストーリーが語られる。そう言うとこの本を読むのにこの時代のベネズエラの歴史の知識が必要なのではないかと思われそうだが、そんなことはない。ここでガルシア・マルケスが描写する独裁政権の崩壊のイメージは、「族長の秋」で増幅されて執拗に描かれる。

 狂犬病に感染した少年を助けるために血清を届けようとする「命の猶予は12時間」、夫婦喧嘩の後失踪し、数奇な運命の末30年ぶりに帰ってきた男の物語「杭につながれて四年」、脱走犯パトリシア・ケリーの物語「潜伏からの帰還」の三編あたりはのちの彼の短編を髣髴とさせるもので、こういった実際にあった出来事たちが彼の作品の中の幻想的だがリアリティのある部分の血肉をなしているのだろう。

 それにしてもガルシア・マルケス、これを読んでもやはりジャーナリストとしてよりも作家としての天分をはじめから持っていたんだなあ、と思う。

 ところで私はこの本を地元では見つけられず、先日福岡の書店で見つけてやっと手に入れたのだが、なんとこれが乱丁本。161ページから192ページまで完全に入れ替わっている。160ページの左に192ページがあってそこからは161ページまでページ数が減っていくのだ。これって出版社に言えば取り替えてくれると思うのだが、ひょっとして劇レア本?
 それにしてもこれまで43年間の人生で相当たくさんの本を買ったけど乱丁本ははじめて。読んでてあれれっと思った。それでも読んだけど。みなさんは経験ありますか?
.05 2006 中・南米文学 comment4 trackback0

新潮社『ガルシア・マルケス全小説』詳細

 やっと「わが悲しき娼婦たちの思い出」を買えた。
 この中に、この本を皮切りに今後順次出版される『ガルシア・マルケス全小説』の案内が折込まれていたので発売予定順に紹介する。

06年9月「わが悲しき娼婦たちの思い出」(2004)
06年10月「コレラの時代の愛」(1985)
06年12月「百年の孤独」(1967)
07年2月「落葉」「青い目の犬」「エバは猫の中」他(1947-55)
07年4月「族長の秋」「エレンディラ」他(1968-75)
07年6月「悪い時」「ママ・グランデの葬儀」他(1958-62)
07月8月「愛その他の悪霊について」(1994)
07年10月「迷宮の将軍」(1989)
07年12月「予告された殺人の記録」「十二の遍歴の物語」(1976-92)

と、発表年代ごとにまとめた物になっている。(青字は私が読んだもの。私のレヴューにリンクしています)
さらに08年には自伝の出版も予定されているようだ。

 現在入手困難になっている作品が多数復刊されることになるのはとても喜ばしい。特に「族長の秋」は代表作の一つだが最近は手に入らなくなっていたので、今回の再発を喜んでいる方も多いだろう。
 私の個人的な意見としては現在では古本を探すしかない初期の短編「ママ・グランデの葬儀」や「青い目の犬」が読めるのが嬉しい。発売が今からたのしみである。
 価格も現在のハードカヴァーとしてはさほど高いというわけでもないと思う。と言うかガルシア・マルケスの本なら多少高くても買っちゃうけど。
.04 2006 本についての雑記 comment24 trackback3

お詫び

8月24日の記事で『レムの「大失敗(フィアスコ)」いよいよ発売!』という速報を流しましたが、その後国書刊行会のHPも全く更新されず、私のこの情報の拠り所だった本やタウンの新刊情報からもいつの間にか消えていました。
 で、やっと今日国書刊行会のHPが1ヶ月半ぶりに更新されていましたが、「大失敗」の発売予定については全く触れていないことを確認しました。
 レムファンの皆様にはぬか喜びをさせてしまい、大変ご迷惑をおかけしました。
 今後はソースの見極めも慎重にしないといけないと反省している次第です。

 ところで、やはり新刊案内をしたガルシア・マルケスのほうは今度の2冊を皮切りに全9冊の全集(全小説)になるそうです。こちらは新潮社の新聞広告に出てたので間違いありません。「エレンディラ」がハードカヴァーで買える、と言うことですね。たのしみ。でもお財布が…
.01 2006 本についての雑記 comment2 trackback0
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