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Zorba's Three Promises


 RINRINが自分の中学校2年生の英語の教科書に発見!
そう、これはまさしく「カモメに飛ぶことを教えた猫」ではないか!


教科書に載ってたのはわずか4ページに短縮したもので、主人公の名はZorbaのままだが、カモメのフォルトゥナータの名前が「Lacky」と直訳されている。わずか4ページでは原作のよさはなかなか伝わらないが、勘のいい中学生諸君の中にはちゃんと読んでみたい人もいるだろう。
 残念ながら教科書にはだれの何と言う作品が出典か全く記載されていない。せっかくいい本なのだから教科書の中でも紹介したらいいのに。

 と言うわけで、全国の中学生の皆さん、これはルイス・セプルべダという作家の「カモメに飛ぶことを教えた猫」という本です。原作はスペイン語で書かれています。(原題は「Historia De Una Gaviota Y Del Gato Que Le Ensano A Volar」) 
 河野万里子さんの訳で白水社から税込み840円で発売されていますよ。素晴らしい本なのでぜひ読んでみてください!
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.28 2006 ねこの本 comment2 trackback0

ポール・ギャリコ ジェニィ


 8歳の少年ピーターはある日交通事故にあって重傷を負って意識を失う。目が覚めたピーターは自分が白猫になっていることに気づく。猫嫌いのばあやから追い出されたピーターは雌猫ジェニィと出会い、猫として生きるためのさまざまな知恵を彼女に教えられる。

 作者のポール・ギャリコは先日レヴューした猫語の教科書もそうだったが、猫小説の第一人者らしく、猫たちの生態や習慣を見事に描ききっているところがすごい。猫の身づくろいのやり方の細かい描写から、ひげで感じるさまざまな超能力まで。
 そんな猫としての生活に戸惑いながらもピーターは徐々に猫らしく成長していく。

 まだ第2次大戦の傷跡の残るロンドンを舞台にのら猫たちが大活躍する。ピーターとジェニィは船に潜り込んでグラスゴーまで旅して、海に落ちたり、鉄塔から降りられなくなったりとか大冒険を繰り広げ、ロンドンに戻ると、ピーターはジェニィを守るため宿敵のチャンピオン猫デンプシィと対決する破目になる。一風変わった冒険小説として読んでもいい。テンポよく書かれていて450ページのボリュームも気にならない。

 読んでいてピーターとともに猫になった気分が味わえる傑作。猫好きの方は必読。本当にある日猫になってた時に、この本を読んでいたら役に立つだろう。
 最後の夢オチがちょっと物足りない気がしなくもない。全部がピーターの夢の中の出来事だったら、ちょっと寂しい。
 それに訳が今となってはいささか古臭い気がした。時代にあった新訳が欲しいと思う。訳文が固いせいか8歳の少年のはずのピーターがあまりにも大人っぽいのも気になった。
 ちなみにNHKでこれの人形劇が放送されていたそうで、いつかぜひ見てみたい。
.27 2006 ねこの本 comment2 trackback0

今度は発熱

 昨日会社で昼食をとった後なんだが胃の具合が悪くて、しばらくしたらゾクゾクしてきて、お腹もこわした。なんとか会社が終わるまでがんばって、帰ってきて体温を測ったら38度ちょっとあった。私は普段の体温が36度そこそこと低いので38度あると結構キツイのだ。
 胃がなんだか詰まったみたいで、熱のせいか体のあちこちが痛いし。
 で、夕べからずーっと寝ていたのだがいまだに胃が変な感じで微熱も続いている。
 夏の疲れが出たのか?って夏何もしてないけど。
.26 2006 日記など comment2 trackback0

ジェイムス・ブリッシュ 宇宙大作戦・見えざる破壊者


 ジェイムス・ブリッシュによる、TV版「宇宙大作戦」のノヴェライズ。驚くべきことにこのシリーズは、TV版のすべてのエピソードを小説化している。
 この「見えざる破壊者」はその第1集(日本での発売順は4番目だったらしい)で、七つのエピソードが収められている。大体1作40ページくらいのボリュームである。
 …で、どれもTVで見た覚えのない作品ばかりである。DVDの収録作品と照らし合わせてみるとこの本に納められたのは第1シーズンの冒頭の方のエピソードのようだ。
 ロミュランの戦闘艦との息詰まる攻防を描く表題作「見えざる破壊者」はスペース・オペラとしての魅力が詰まっているが、やはりこれはスター・トレックの世界とはいえない。
 
 この本の中で一番興味深い作品は「ミリ」。これはへびつかい座70第4惑星を調査したカークたちの前に現れた住人たちはあるウイルスに感染していた。彼らは子供の間は数百年間ゆっくり成長するが、大人になると発病し、発狂して攻撃的になったあと死んでしまうのだ。カークたちが出会った少女(少女だが実は400歳だ!)ミリは発病直前であった。しかしカークたちにも感染の兆候が…と言う物語。廃墟となった街に、子供たちだけが住んでいるこの惑星はストルガツキーの「蟻塚の中のかぶと虫」に出てくる「死せる世界」作戦を髣髴とさせる。もちろんスタートレックはあんなにペシミスティックではないが。

 最後に収められた「王たるものの良心」がまたとてもスタートレックらしい作品。かつてある惑星で住民を虐殺したコドスと言う男をカークの友人が見つける。コドスはシェイクスピア俳優カリディアンとして生きていたのだ。彼を追い詰めるカークの前に立ちはだかったのは…という物語なのだが、SFとシェイクスピア劇を絡めてしまうあたりはスタートレックならではと言えるだろう。

 …ところでトレッキーの間ではシェイクスピアはクリンゴン人だったという説がある。シェイクスピアはクリンゴン語で読むのが最高なのだそうだ。ホントかなそれ。
.23 2006 スタートレック comment0 trackback0

あ・・・足が・・・

 昨夜、家で洗面所に手を洗いに行こうと思ったら、足の小指を思い切りぶつけた。
「あ~痛~」とか言いながら手を洗ってきて、元いたTVの前にも戻って、まだ痛いのでちょっとさわってみると血だらけだった。
 なんと、右足の小指の爪がぱっくりはがれているではないか。

 昨夜は寝ててもなんだか痛かった。今日は仕事が休みだったので1日はだしですごして、そんなに痛くないのだがやはり靴を履いてみると靴が当たったり、さわると痛い。明日は仕事。うーん、困ったものだ。
.22 2006 日記など comment5 trackback0

ウイリアム・シェイクスピア アントニーとクレオパトラ


 ローマの将軍マーク・アントニーはエジプトの女王クレオパトラの色香の虜となっている。前妻が起こした事件のため気まずくなったローマの執政官シーザーとの仲を修復しようと、アントニーはシーザーの姉オクテイヴィアとの結婚に踏み切るが、やがてシーザーは他の執政官たちを倒して覇権を手に入れようとする。これに反発したアントニーとシーザーは対決する。エジプト軍の敵前逃亡で破れたアントニーはクレオパトラが信じられなくなる。

 とにかく複雑な劇で登場人物も多い。集中して読まないと物語の流れをつかみ損ねてしまいそうである。
 この劇はアントニーが、クレオパトラが死んだと思って自害しようとするところなど、「ロメオとジュリエット」と類似した部分もある。中年版「ロメオとジュリエット」という見方もあるかもしれないが、これはわざと醜悪な部分(自害しようとして果たせないアントニーや、シーザーの前で財産をごまかそうとしたことを暴露されるクレオパトラなど)を詰め込んだ「ロメオとジュリエット」のパロディー版とも言えるのではないだろうか。

 「ロメオとジュリエット」にあった青春の香気と潔さは、薄汚れた欲望のなかに消え去り、ラストのクレオパトラの死も共感も涙も、カタルシスも呼ばない。はっきり言ってシェイクスピアの作品の中ではもっとも面白くない作品の一つである。
.21 2006 シェイクスピア comment0 trackback0

ボン・ボヤージュ


Bon Voyage 2003年 仏
監督:ジャン=ポール・ラプノー
出演:イザベル・アジャーニ
ジェラール・ドパルデュー
グレゴリ・デランジェール

1940年、パリ。スター女優のヴィヴィアンヌは、ある晩、しつこく自分につきまとう男アルペルを誤って殺害してしまう。彼女の幼馴染みの青年オジェが、罪を被って刑務所に入るハメとなる。それから数ヵ月後、次第に戦火が激しさを増す中、脱走に成功したオジェは、ナチス・ドイツに占領されたパリから脱出してボルドーへ向かう。同地には、ヴィヴィアンヌや多くの政治家やジャーナリストたちが疎開してきていた。その中には核兵器の材料を英国に持ち出そうとする科学者や、それを狙うドイツのスパイたちも潜んでいて…。

 昨日の朝TVをつけたらWOWOWで放送していて、仕事が休みだったのでつい見てしまった。上のストーリーの要約だけ読むと、なんだかすごく深刻な映画みたいな気がするかも知れないが、実際に見てみるとこれはコメディである。深刻さも悲惨さもほとんど感じないし、悪役のドイツのスパイを含めて何だか憎めないキャラばかり。

 ヒロインのイザベル・アジャニが劇中で主人公のオジェ(デランジェール)大臣ボーフォール(ドパルデュー)をはじめ何人もの男性をころりと騙してしまう。いまどきこれはあんまりだとも思うのだが、騙されてみたい気もするかな。
 登場人物がすごく多い映画なのだが、それぞれの登場人物についてくどくど説明するわけでもないのに、観客にわからせてしまうラプノー監督の手腕はさすが。小気味よいテンポで物語が進むのでついつい観てしまう。さすがフランス映画、見せ方がうまい。
 いまどき珍しい、多数のエキストラを配した圧倒的な映像もすばらしい。

 ところで今調べたらイザベル・アジャニって1955年生まれである。ってことは今51歳!?この映画のとき48歳!!
…信じられない。女優さんってコワイ。
.20 2006 映画(欧州・アジア) comment0 trackback0

眠れる森の美女


Sleeping Beauty 1959 米
監督:クライド・ジェロミニ

 言わずと知れたディズニーアニメの名作。ペローの原作、チャイコフスキーの同名バレエ組曲を元に脚色された作品で、70ミリフィルムで撮影されている。
 ストーリーはいまさら私が語る必要はないだろう。

 まず一見してその直線的な絵柄でそれまでのディズニーアニメ「白雪姫」や「シンデレラ」とは一線を画していることがわかる。70ミリフィルムを使用するということもあってか、背景の描き込みは細密を極めていて、まるで動く絵画である。特に森でのオーロラとフィリップの出会いの場面はチャイコフスキーの音楽を編みなおしたすばらしい音楽とあいまってアニメ史上最高といっていい美しさである。現在に至るまでこれを凌駕するシーンを私は観たことがない。

 途中から主人公のはずのオーロラとフィリップのセリフが全くなくなってしまうとか、オーロラはただ眠っていただけで敵役マレフィセントの脅威を直接感じることがないなど、脚本に疑問を感じる部分もあるのだが、実はこの映画の主役はオーロラを守る三人の妖精、フローラ、フォーナ、メリウエザーなのだと考えれば納得できるだろう。

 原作では百年眠る姫はこのアニメでは一晩だけ眠らされ、姫と、彼女を救う王子はその前にお互いの身分も知らずに恋に落ちている。このあたりの脚色は物語的にペローの曖昧な原作よりも説得力がある。
 また、三人の妖精に守られるとはいえ、オーロラを得るために自分の力で巨大な悪の権化マレフィセントに立ち向かうフィリップ王子は、ただ最後に現れてヒロインを掬い上げるだけの「白雪姫」や「シンデレラ」の王子とは一線を画していると言えるだろう。
 王子が父王に「森の娘と結婚する」と宣言し反対されると父の考え方が古いと「今は14世紀ですよ」とたしなめるあたりはディズニーらしいモダンな感覚。またフィリップの愛馬サムソンがとてもいい味を出している。助演馬優賞を授けたい。

 この作品は1959年に製作されている。50年近く前になるわけだが、今のアニメは技術こそ向上したかもしれないが、美しさという点では後退したと言っていいのではないだろうか。最近のアニメ映画は細密な描写の点ではこの映画を上回るものもあるが、残念ながら美しいものに対する感覚に乏しいと言わざるを得ない。だから親たちは子供たちに、この50年前の映画を見せ続けるのだし、子供たちも新しいアニメよりもこれを喜ぶのだろう。
.19 2006 アニメ comment2 trackback0

台風の感覚


昨日は台風13号が私の町を直撃、大荒れな一日でした。
被害にあわれた皆さんにはお見舞い申し上げます。

 ところで私は台風が来て気圧が下がるとなんだか耳鳴りがするような肌がつっぱるようなヘンな感覚になるんですが、皆さんはそんなことありませんか?
 こう言うとみんなに「そんなのはpiaaさんだけ」と言われますが、うちのまゆまゆも私と同じようですので、そんな人は実は結構多いんじゃないかと思うのですが。
.18 2006 日記など comment4 trackback0

シロ


夏休みのはじめごろからからまゆまゆの実家の近所に住み着いた真っ黒な子猫。
MINMINはこのねこになぜか「シロ」と命名した。
この写真ではわかりにくいがよく見ると右のひげが一本白いのだ。
真っ黒で、キナトラとも仲良しで、春に亡くなったジジの生まれ変わりみたい。
元気に育ってくれるといいなあ

.16 2006 ねこ comment0 trackback0

「第10惑星」、命名される


 太陽系の第10惑星かと注目され、その後、矮惑星に分類された「2003 UB313」とその衛星に正式な名前が与えられた。発表された名前は、それぞれ「エリス(Eris)」と「ディスノミア(Dysnomia)」。名前の由来は、ギリシャ神話に出てくる不和と争い、混沌の女神だそうだ。(以上AstroartsのHPより)
 これまで2003UB313、または仮称で「ゼナ」と「ガブリエル」と呼ばれていたが今後は「エリス」と「ディスノミア」で統一されることになる。小惑星番号は136199。

 エリスとはギリシャ神話の不和と争いの女神で、争いを引き起こす。この天体が発見されて冥王星が惑星かどうかの論争になったことを考えるとふさわしい名前なのかもしれないが、ギリシャ神話の中での位置づけから言えば、天王星(ウラヌス)、海王星(ネプチューン)、冥王星(プルートゥ)に比べるとぐっと小物であることは間違いない。
 しかしこのエリス、それでも冥王星よりも大きいわけで、ぜひ何かぴたっと来る日本名をつけてほしいと思うのだが…なんだか難しそうだ
.15 2006 宇宙 comment2 trackback0

ジャンニ・ロダーリ 猫とともに去りぬ


 ジャンニ・ロダーリはイタリアの作家。これまでに児童文学の作家として割と多数の作品が紹介されているらしい。この「猫とともに去りぬ」は今回「光文社古典新訳文庫」の中の一冊として発売されていた作品。この文庫は手垢のついた古典文学を新しい訳で出すというメインコンセプトのようで、第1回発売は「リア王」「カラマーゾフの兄弟」「小さな王子(星の王子さま)」などの名作揃い。それらの古典の巨人にまじってこの作品と言うのはいささか突拍子もない気もするが、未訳の傑作を発掘するというのもこの文庫のコンセプトの一つらしい。価格のリーズナブルさも含め今後期待の文庫だといえるだろう。

 さてこの「猫とともに去りぬ」は、16の掌編からなる短編集で、どの作品もファンタジーと言うか童話のような物語なのだが、どれも少しばかり風刺のスパイスが効きすぎて大人向けの童話と言った風情の作品が並ぶ。家族に疎んじられた老人が猫になることにしてアルジェンティーナ公園へ向かう。猫たちは猫の星座がないことに反発してコロッセオを占拠するし、ヴェネツィアが水没すると聞いたトーダロ氏と家族は魚になったり、イタリアの歌や食べ物といった風物まで描きこんでおおらかな作品である。
 バイクと結婚すると言い張る若者や、ピアノを拳銃代わりに持ち歩くカウボーイなど奇想天外。
「カルちゃん、カルロ、カルちゃん」は「出る杭は打たれる」構図を描いた風刺作。とにかくどの作品もおおらかさと風刺が絶妙のバランスである。さすがイタリアの左翼系新聞に掲載されていた作品だけのことはある。

 さてSF好きとしては「ピサの斜塔をめぐるおかしな出来事」に言及しないわけにはいかない。これは37光年と27センチの彼方、カルパ星からやってきた宇宙人がピサの斜塔を奪おうとする物語である。カルパ星人は勝手に地球の建物や島を売買していて、ピサの斜塔も懸賞に当たったカルパ星人の女性のものだと主張するのだ。これを読んで私は月や火星の土地を勝手に売っているルナエンバシーとかいう会社のことを思い出してしまった。他の天体の土地について勝手に販売してると、いつか地球人がカルパ星人みたいなことをやる日が来るかもしれないな、と苦笑してしまった。

 これはとても面白かった。今後もこんな傑作が読めることを期待して「光文社古典新訳文庫」に注目していこうと思う。
.14 2006 イタリア文学 comment10 trackback3

羽海野チカ ハチミツとクローバー 完結


 つい先日第9巻が出たすぐあとに連載の雑誌の方で完結したという話を聞いて、最終巻が出るのはいつになることやら、と思っていたら思いがけず早く出た第10巻。本編は100ページほどで、あとはオマケである。

 この作品は竹本、森田、真山、あゆ、それにはぐの5人の若者のそれぞれの青春を描いた群像劇のようにも見えるが、実は物語の重心は本筋の竹本と副筋のあゆに置かれていて、この二つの物語は物理的にそばにあったと言うだけで、全く別の物語と考えていいだろう。

 中盤までこの作品を支えていた副筋から、竹本の家出を機にぐっと本筋に引き戻され、9巻ではぐが怪我をして入院するあたりから急展開を見せる。はぐは竹本でも森田でもない男性を選び、やがて別れの時がやってくる。最後は竹本が家出中に出会った人々のところで働くために去って行く。列車に乗ろうとする竹本のもとにはぐが何かを届けに来る。ハチミツと四葉のクローバーのサンドイッチだ。竹本の脳裏には花本教授のためにはぐやみんなと一緒に四葉のクローバーを探した記憶が甦る。そして竹本はサンドイッチをほおばりながら「うまく行かなかった恋に 意味はあるのか?…今ならわかる 意味はある あったんだよ」と述懐する。
 まさしく竹本はこの瞬間、ハチミツとクローバーのサンドイッチとともに「終わり」を噛みしめているのだ。
 だがこれは「青春」の終わりで、竹本はいま「人生」の扉を開こうとしているのだ。だがそのことに彼は、きっと5年後か10年後に気づくのだろう。
 素晴らしいラストシーンである。青春時代なんてもう四半世紀も前のことになったおじさんである私も胸が熱くなった。
 だれにでもあるつらくて、恥ずかしい、でも後になって思い出すと信じられないくらい幸福だったモラトリアム時代の輝きを見事に描いた傑作になったと思う。

 巻末に収録された「星のオペラ」も傑作。これはドラえもんのひみつ道具のひとつを使っていろんな作家に短編を書いてもらうという企画からできた作品だそうだが、みごとなウミノ節になっていて脱帽。この人の他の作品も読みたい。早く読みたいのはやまやまだが、じっくり次回作を構想していただいてクオリティの高いものを期待したいと思う。
.12 2006 コミック comment0 trackback0

イタロ・カルヴィーノ 柔かい月


 イタリアの作家カルヴィーノの、「レ・コスミコミケ」と同じくQfwfqが主人公の一見SF風連作短編。でも読んでみるとちっともSFとは言えない。
「見えない都市」よりはずっと読みやすい作品だと思う。

 全体は三部に分かれていて、第一部は「Qfwfqの話」となっていて、Qfwfqが語る月の起源(「柔かい月」)だったり「鳥の起源」だったり、まだちょっとSF的な題材を用いてはいるが、しかしそこで語られる内容はなんともシュールなものである。時代から言えば人ですらない(はずの)Qfwfqが擬人化され、あるはずもない街や天文台や高速道路が語られるのだ。

 第二部「プリシッラ」に進むと、Qfwfqはだんだん影が薄くなってくる。第三部「ティ・ゼロ」ではもはやQfwfqの姿は見当たらなくなる。だがQfwfqのいないこの第三部がこの本の中でもっとも素晴らしい。
 「ティ・ゼロ」ではライオンと遭遇した「私」が襲いかかってくるライオンに向かって矢を放つ。いま矢はライオンに向けて飛んでいるが、それが命中するのか、外れるのかはわからない。その瞬間に対する考察…ただそれだけでこの20ページの短編ができている。
 次の「追跡」では追われている「私」と追っている「追跡者」が渋滞に巻き込まれてるという状況、「夜の運転者」では恋人に会いに行こうと車を走らせる状況についてそれぞれ考察していく。どれも論理的なようでいて不可知論に近い。いや不可知論に見えて論理的なのだろうか…?この三編に共通するのは「瞬間の考察」と言う点で、瞬間が内包する過去からの繋がりと未来へのあらゆる可能性を突き詰めて考察したものである、と言えるだろう。

 最後の「モンテ・クリスト伯爵」は牢獄という迷宮を描いてそこから抜け出すための指針を示そうとする。その示そうとするものこそ、まるで文学の行く末を見つける鍵でもあるかのように。
.11 2006 イタリア文学 comment2 trackback0

シェルブールの雨傘


Les Parapluies de Cherbourg 1964年 仏
監督:ジャック・ドゥミ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ
ニーノ・カステルヌオーヴォ
音楽:ミシェル・ルグラン

 これも有名なフランス映画。この映画の特徴はなんと言っても台詞がすべて歌になっているということである。上映時間の90分間ずっと音楽と歌が流れているのだ。ではミュージカルなのかと言われると、踊りのシーンがあるわけでもないし、一般的な意味でのミュージカルとはいえない。いわゆる実験的な作品だったのだろうか。
でも観てみると全く違和感を感じない。かといってルグランの音楽が印象に残らないわけではない。それどころか繰り返し流れるテーマ曲は映画音楽の永遠の名曲である。

 物語は言ってしまえば普通の恋愛映画。将来を誓い合った恋人同士のジェヌヴィエーヴとギイだったが、戦争が二人を引き裂く。復員してきたギイはジェヌヴィエーヴが自分の子を身ごもっていながら他の男と結婚してしまったことを知る、と言うもの。ここからはネタバレ注意。

 ギイはその後亡くなった伯母の面倒を見てくれていたマドレーヌと結婚し、伯母の遺産を使って買ったガソリンスタンドを経営する。あるクリスマスの夜、そのガソリンスタンドを子供を連れたジェヌヴィエーヴが偶然訪れる、というラストシーンになる。ここは感動の名シーンと言われている。若いときに観た時は胸を掻きむしられるようなイタいラストだと思ったものだが、本当にそうだろうか?

 二人はどこかぎくしゃくと、ありきたりな会話しか交わさない。ジェヌヴィエーヴはギイに「娘と会ってみる?」と訊くがギイはその申し出をあっさり拒絶する。
よく考えると、このラストでツラいのは観ている観客だけなのではないのか? 私はギイと同じように、愛した女性に去られた経験もあるが、今、その女性が目の前に現れても懐かしさ以外なにも感じないと思う。そりゃ多少はセンチメンタルな気分にはなるかもしれないが…

 黙って出て行きかけたジェヌヴィエーヴは、振り返って「あなた、元気?」とギイに訊く。
 ギイは「ああ、元気だよ。」と答え、二人は別れる。
 ここは原語ではジェヌヴィエーヴが「Toi tu vas bien ?」と訊き、ギイが「Oui, tres bien」と答えている。これは「あなた、幸せ?」「ああ。幸せだよ」と訳してはいけないのだろうか。なんだかこの問を発したジェヌヴィエーヴの方があまり幸せでなさそうに感じてしまった。
 さまざまな解釈のできるラストシーンである。皆さんはどう思いますか?
.09 2006 映画(欧州・アジア) comment8 trackback0

冒険者たち


Les Adventuriers 1967年 仏
監督: ロベール・アンリコ
出演: アラン・ドロン
リノ・ヴァンチュラ
ジョアンナ・シムカス

 パイロット志望のマヌー(ドロン)とエンジニアのロラン(ヴァンチュラ)のコンビは、ある日レティシア(シムカス)というアーティスト志望の女性に出会い、友情とも恋愛ともつかぬ共同生活をはじめるが、それぞれの夢に挫折してしまう。
そこで彼らは一攫千金を夢見て財宝が眠るコンゴの海へ…

 これは私のオールタイム・ベストの一作。何度観ても感動で胸が震える。
「グラン・ブルー」にも影響を与えたとされる、とてもロマンティックな映画。フランス映画らしくゆったりしたテンポで主人公たちの心情を描き出すカメラワークも秀逸。そしてとても控えめな音楽が逆にとても印象的。音の点ではヨーロッパ映画の研ぎ澄まされた感覚は素晴らしい。サラウンドでうるさいだけのアメリカ映画は足元にも及ばない。

 ハンサムでカッコいいドロンと、ちょっとおっさん臭いヴァンチュラのコンビが絶妙。特に前半の屑鉄屋に住んでいる二人はいかにもボヘミアンっぽく青春していていい。
 その後ルーレットでスッてすっからかんになったはずなのにどうやってコンゴに行ってあの船を手に入れたのかよくわからないが、そんな細かいことは言わず(言ってるの私だけ?)にこの美しい青春映画を楽しもうではないか。
 ヒロインがカッコいいドロンではなく、人情味のあるヴァンチュラを選んでしまうのも、若いときに観た時は意外な感じだったけど、人生ってそんなものだと今になって思うなあ。

 死んだレティシアに潜水服を着せて海に葬るシーン(マネキンに見えるなんて言ってはいけない)。死に際のマニュのあの台詞。そして立ち尽くすロランを見下ろしながらカメラが上空へ浮かび上がるラストシーン。などを筆頭に印象深いシーンの連続である。最高。まだ観てない人はぜひ観てください。
.06 2006 映画(欧州・アジア) comment4 trackback0

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 呪われた首環の物語


 ダイアナ・ウィン・ジョーンズはイギリスのファンタジー作家。ジブリがアニメ映画化した「ハウルの動く城」の作者として有名である。
 これはMINMINが読みかけて放り出していたのを読んでみた。読んでみると確かに小学生が読むにはちょっと暗くて重い作品かも知れない。冒頭の陰惨な殺人のシーンから暗く湿気た独特のイメージが流れ出す。かなり文学的な価値の高いファンタジー作品だと言えると思う。

 湿原に暮らす「人間」と「巨人」、そして水に棲み不思議な力を持つ「ドリグ」。この三種族が呪われた首環をめぐって争う。人間の王の息子ゲイアは「巨人」の少年と友だちになり、首環にこめられた強力な呪いを解こうとするが…と言う物語なのだが、読み進むうちに意外なことに気づく。
 ここで描かれている「巨人」とは何者か。書いてしまうと非常にネタバレになってしまうので書かないが。この発想の転換は素晴らしい。作者自身あとがきでこのアイディアがこの作品の中核をなしている事を遠まわしに告白している。

 特殊能力を持った姉と弟に対して、特別な力を持たないゲイアはコンプレックスを抱えている。王である父との関係もうまく行かない。この家族との関わり方がとてもうまく描かれている。ファンタジーの形をとった、家族の物語でもあるし、友情の物語とも読める、なかなか深い内容の一冊。子供たちだけに読ませるのは惜しい。
.05 2006 英文学 comment0 trackback0

装甲騎兵ボトムズ


1983年から84年に放送されたTVアニメ。今GyaOのアニメのページで毎週2本づつ観れる。実は83年の放送時に観てたのだが、当時長崎の放送局では放送してなかった事もあって観ていないエピソードがたくさんあり、ずっと気になっていたアニメだった、今回観ることができてとても嬉しい。上の写真はDVDのポスター。なんと10万円(!!)もする。

 第1話のサブタイトルが「終戦」。そう、ロボットアニメなのにいきなり第1話で戦争が終わってしまうのだ。戦争しか知らない主人公のキリコは、終戦後の混乱した「ウド」の街にやってくる。そこでキリコは戦争中の作戦行動中に目撃した軍の最高機密「ファンタム・レディ」と再会することになる。

 「ガンダム」ではじめてロボットがヒーローではなく兵器として描かれるようになったが、この作品はそれをさらに進めたものである。この作品の主人公はAT(アーマード・トゥルーパー)と呼ばれるロボットに搭乗して戦うのだが、これはこの世界ではありきたりなただの道具として描かれている。だから主人公の乗る機体はあっさり壊れるし、逆にスクラップから組み立てて使ったりする。ATはモビルスーツのような強力な兵器ではない。全高4mくらいと、TVアニメのロボットの中ではもっとも小さい部類で、一人乗りの戦車と言うイメージである。物語上必然的にそうなった部分はあるが、敵味方で同じ機体を使ったりする。
 そしてこのAT、ちっともカッコよくない。外見にとらわれず徹底的に兵器としてのロボットとして考えてあって画期的である。それを踏まえてよく考えるとガンダムの顔に目があるのはどう考えてもヘンであることに気づく。さらにATが全く登場しない回があるあたりも当時画期的だったはずだ。

 さて肝心の作品について。やはり20年以上前のアニメなので絵は古い。キリコの仲間になるゴウト、バニラは類型的すぎると言えるし、この殺伐としたウドの街で生きるにはココナは純情すぎる。第1クール「ウド編」ではウドの街を牛耳る治安警察とキリコたちの対立が描かれるのだが、治安警察の連中があまりにもヘタレ。まあそういう弱点はいっぱいあるのだがクールなアンチヒーロー、キリコのキャラをはじめとして随所にカッコよさがちりばめられたアニメだ。

 主題歌「炎のさだめ」エンディング曲「いつもあなたが」もカッコいい。アニソンのくせに両曲とも一行のカタカナも出てこない。歌っている歌手「TETSU」は織田哲郎氏だそうだ。
.04 2006 アニメ comment0 trackback0

ラフィク・シャミ 空飛ぶ木


 ラフィク・シャミはシリア・ダマスカス出身のアラブ系ドイツ人作家。この「空飛ぶ木」はアラブを舞台にした短編集で、昔話風のスタイルをとっていて、主人公は木だったり、蟻だったりする。そうしながらある時は風刺をまぶして見せ、ある時は社会の矛盾を鋭く突いて見せる。「タマネギ」では暴政に反抗する庶民を、「美しい声のファティマ」では運命に弄ばれる歌姫の悲劇を、「オオカミの皮を着た羊」では見せ掛けの力に己を過信してしまうものの悲劇を、というふうに。

 「黒い羊」と「監視人」は切り口は違うがどちらも差別について描いた作品で、「黒い羊」では白い羊の群れにただ一匹の黒い羊が仲間達に疎んじられ、仲間を守ろうとオオカミに立ち向かい撃退するが、愚かな羊たちはオオカミが凶暴になるだけだと黒い羊を逆恨みするだけである。「監視人」では怪物に毎日10匹のいけにえを差し出せと命令された蟻たちがその10匹を選ぶために働きの悪い者を選び出す監視人を置くことになるが、いつの間にか怪物を恐れているのか監視人を恐れているのかわからなくなる。
 差別と言うものは、人種間だけではなく、そのコミュニティの中にも小さなきっかけではびこって行くのだ。この二つの作品の中に描かれる差別の生まれる理由は、コミュニティが衆愚であるか、背景に強力な恐怖があるかの違いがあるだけだ。この二つの作品は、この作家の差別についての深い洞察を感じさせる。
 「ニンニク」では豪農の三人の息子の運命を描いていかにも「千一夜物語」らしい展開。かと思うと最後の「吸血鬼とニンニクの真実」でいきなり現代のドイツが舞台になる。とてもひねりの効いた作品である。

 全体のイメージとしては現代風にアレンジした「千一夜物語」という感じの作品集である。肩の凝らない短編集として、暑い夜に読むのもいいと思う。
.02 2006 アジア・アフリカ文学 comment0 trackback0
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