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岩合光昭 岩合日出子 海ちゃん


海(カイ)ちゃんは動物写真家岩合光昭氏と日出子夫妻の長女です。品川のお寺から貰われてきました。とびきりの美人で近所の雄ネコたちの人気者、人間の妹カオルちゃんのお姉さん役も立派にこなします。6回の出産で愛くるしい子をたくさん産みました。真面目で一生懸命な子育てにもかかわらず、その美貌はちっとも衰えません。海ちゃんのステキな一生を、愛情溢れる写真と文でご覧下さい。(以上新潮社HPより)

 写真家岩合光昭氏の飼い猫、海ちゃんの半生を、岩合氏の写真と奥様の日出子氏の文でつづった写真集。
 岩合氏の姉妹作「地中海の猫」や「ニッポンの猫」ではのらねこたちが中心だったが、海ちゃんは飼い猫。そのため、のらの魅力のワイルドさやしたたかさは感じないが、そのかわり飼い猫ならではのかわいらしさと表情の豊かさ、そして幸福感が伝わってくる写真集である。文章も海ちゃんへの愛情がひしひしと伝わってくる。
 海ちゃんという、とても幸福なねこの生涯が見て取れる、ねこ好きを幸せにしてくれる一冊。
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.28 2006 ねこの本 comment0 trackback0

ウイリアム・シェイクスピア リチャード三世


 トリノオリンピックも終わって、私の日常も常に戻ったかな。
 と、いうわけでシェイクスピア第6弾は、「リチャード三世」。
 15世紀イギリスで起こったランカスター、ヨーク両家の王位争いが内戦に発展した、いわゆる「薔薇戦争」の後王位についたエドワード四世の弟グロスター公リチャードは、兄の病が篤いことを知るや自ら王権を得ようと陰謀をめぐらし、自分が王位に就くために障害となりそうな人物は片っ端から暗殺したり、罪を着せて処刑したりしてついには王となるが、その残虐ぶりがリッチモンド伯ヘンリーらの反乱を招く。

 この作品はシェイクスピアの作品の中でも比較的初期に書かれたものとされていて、確かに荒削りな印象のある作品で、全体の物語の印象は四大悲劇のひとつでもある名作「マクベス」によく似ている部分も多いのだが、やはりマクベスに比べると構成も弱く、悪人である主人公の、悪に走る動機付けが弱いような気がする。
 王位に就こうというのは動機としては十分とも言えるが、「マクベス」はうすうす持っていた王位に対する望みを、魔女に予言されたことで実現できると信じてはじめて悪事に手を染める。その分人間的な弱みを感じさせるが、リチャードははじめから王位を簒奪する気である。生まれついての悪玉だったのかもしれないが、そのため物語として深みに欠けてしまった感がある。
 最後のほうで現れる「亡霊」の効果も「マクベス」に現れるバンクォーの亡霊のシーンに遠く及ばない(要するに、亡霊たちの行動が類型的で怖くない)。
 一方で、現実の歴史ではエドワード四世の戴冠からリチャード三世の死まで15年あったのが、この戯曲では数週間の出来事に見えるように圧縮されているあたりは「マクベス」と同じ特徴で、物語の緊迫度の高さは素晴らしい。
 リチャード三世と言うシェイクスピアの描いた中でももっとも極悪な男の冷血なキャラクターも強烈。

 それにしても人がよく死ぬ芝居である。
数あるシェイクスピア劇の中でももっともたくさん人が死ぬ芝居なのだそうだ。
.27 2006 シェイクスピア comment0 trackback0

ストルガツキー 願望機


半年ぶりのストルガツキーは、タルコフスキーの映画「ストーカー」のために書かれ、結局採用されなったシナリオ「願望機」。

 まず説明しておくと、タルコフスキーの映画「ストーカー」はストルガツキーの原作「路傍のピクニック」の第4章を元にしているのだが、原作とはもはや全く違う物語である。登場人物は「ストーカー」と彼の妻、「ストーカー」の案内で願いがかなうという「願望機」のある場所に行こうとする「作家」と「教授」の四人だけである。彼らはゾーンに侵入し、いがみ合いながらも苦労の末願望機にたどり着くが、結局目的を果たさず戻ってくるというストーリーである。

 「願望機」のほうも基本のプロットは完成した映画と同じなのだが、大きく違う点はなんと言っても主役のストーカーの性格である。映画のストーカーはインテリでなんとなく気弱な男だが、「願望機」のストーカーは「路傍のピクニック」の主人公レドリック・シュハルトと同じようなタフな男である。映画では全く描かれない「ゾーン」の異常な現象も、何年もアイドリングし続ける車などが盛り込まれている。このためこのシナリオは全体に映画と原作のちょうど中間の作品といった印象を受ける。
 作家と教授を友と呼ぶ、人間を肯定するラストも好感が持てる。

 実はタルコフスキーはこれに近いシナリオで映画の撮影を終えていたそうだ。このフィルムは信じられないことに、現像所の事故で完全に失われてしまい、その後撮影しなおされたのが現在見ることができる映画「ストーカー」なのだそうだ。
 タルコフスキー夫人の証言によると「撮影しなされたときに、主役の性格が変更になった」のだそうだ。タルコフスキーファンとしての気持ちよりもストルガツキーファンとしての気持ちのほうがはるかに強い私としてはその失われたフィルムのほうを観てみたかったな、と思う。

 この本にはシナリオ「スプーン五杯の霊薬」も収録されている。こちらについては後日。
.26 2006 ストルガツキー comment2 trackback0

機動戦士ZガンダムⅡ 恋人たち


 「Z(ゼータ)ガンダム」映画化第2弾は、前半がカミーユとフォウの出会いを描く「ホンコン・シティ」編、後半はティターンズによるコロニー落とし阻止作戦を中心に製作されている。
 特にTVシリーズではカミーユが宇宙に戻ってから物語が破綻したので、ここからをどのように料理するのか興味深く見たのだが、カミーユとサラを中心にうまくまとめてあってシナリオ的には上出来だったと言えるだろう。
 サラがTVシリーズよりも重要な役回りで、TVシリーズと交代させてまで池脇千鶴をキャスティングしたのは正解であった。池脇千鶴が声を当てることでサラの、気が強い女性兵士で、命令なら無差別テロもやる、それでいて少女を捨てきれない複雑な心情がよく出たと思う。

 しかし、相変わらずのつぎはぎ作画にはあきれる。フォウとカミーユがサイコガンダムの中で話すシーンなどは途中で急に古い絵に切り替わる。キャラの顔まで変わってしまうので、一緒に見ていたMINMINは「なにこれ」と唖然としてた。

 あと見ていて不自然に思った所が、
①サイコガンダムみたいなとんでもない物をはじめて見たのに、みんなもっと驚けよ。
 TVではカミーユとフォウが出会う前に一度サイコガンダムと交戦していて、その時アムロが「こんなものが歩くのか!」と驚くシーンがあったけど、映画版にはなし。アレ見たらフツーたまげるだろ。
②カミーユは、なんでサイコガンダムのコクピットが頭にあるって知ってたのだろう。頭付近にコクピットのあるMSは他にはジオングとリック・ディアスくらいだが。

 それと、これは一番驚いた。フォウ死んじゃった!あの至近距離で頭を撃たれてはよもや生きてはいまい。手を下したのがあの俗物ベン・ウッダーのおっさんと言うのも気に入らないが、なによりあのままフォウが死んだのなら、カミーユがフォウの死を認識できなかったという作劇上の大失敗になってしまう。
 次の映画のHPを見るとキャラクター表にフォウばかりかアムロの名すら無し。と言うことはキリマンジャロの悲劇のエピソードはナシ??
 さてどうなりますやら。第3作「星の鼓動は愛」は3月4日公開。
.26 2006 アニメ comment0 trackback0

冥王星に2つの新衛星発見


 『NASAのハッブル宇宙望遠鏡を使用している天文学者が、冥王星の2つの新衛星の存在を確認した。 衛星は2005年5月に最初に、ハッブルによって発見されていたが、冥王星検索チームは、衛星の軌道を特徴付けるために2月15日まで冥王星系をさらに詳しく観測した。 イメージの中央に冥王星、カロンはそれのすぐ下にある。 S/2005P1とS/2005P2と臨時に命名された衛星は冥王星とカロンの右に見えている。』以上ハッブル・サイトより。

『太陽系の9番目の惑星、冥王星(直径約2400キロ)を回る2つの衛星を、ハッブル宇宙望遠鏡を使った高感度観測で新たに確認したと、米ジョンズホプキンズ大応用物理研究所などのチームが、23日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
 観測成功は昨年5月。1978年に見つかった最初の衛星カロン(直径約1200キロ)と合わせ、冥王星の衛星は計3個になった。チームは近く新衛星の名前を決め、国際天文学連合に申請する。
 新衛星はカロンより外側にあり、公転周期はカロンの約6日に対し、推定で25日と38日。太陽から非常に遠く光の反射率も不明なため大きさの推定には幅があるが、内側の小さい方が直径48-132キロ、外側の大きい方が同60-165キロと、カロンよりはるかに小さい。』以上Yahoo Newsより。

 もともと冥王星系は他の惑星系よりも際立って変わっていて、カロンは上の記事にもあるように冥王星の半分の大きさがあり、衛星として大きすぎるし、軌道も近すぎる。二重惑星と考える人もいるようだ。
 さらに他にも衛星があるなんてちょっと不思議な気もするが、やはりカイパーベルトには太陽系の他の場所よりも天体が多いってことなのだろうか。

 それにしてもこんな遠くのこんな小さな天体を発見しちゃう天文学者の皆さんには頭が下がります。
.25 2006 宇宙 comment0 trackback0

SF映画について語る

ブログルポを見たら、ナントカ言う映画(この映画そのものはつまんなさそう)のタイアップ企画で、SF映画について語ろうというのがあったので、語ってみる。

 まず、好きなSF映画といえば、やっぱりタルコフスキーの「惑星ソラリス」を挙げずにはいられない。私が愛してやまないスタニスワフ・レムの原作とは趣の違う映画だが、タルコフスキーの叙情性とレムの厳格さが程よくブレンドした名作。
 他にもまじめな雰囲気に好感の持てる「スタートレック」シリーズは好きだ。

 しかし、私はSF映画を見ているとストーリー的にも、科学的にあまりにもいい加減な物が多いので辟易することが多い。かなり無理が多いが力技でねじ伏せた感のある「スターウォーズ」や、馬鹿馬鹿しい怪獣映画「トレマーズ」などは面白かったので許すとして…
 
 私の見た中で最低・最悪のSF映画を一本選ぶとしたら、それは「スターシップ・トゥルーパーズ」である。「インデペンデンス・デイ」や「デューン砂の惑星」などの愚作・怪作もはるかに及ばない超最悪の一本。最悪SFの金字塔である。
sf1.jpeg
まず第一の疑問は、アノ映画に出てくる出てくる巨大昆虫たちはいったいなに食ってんだろうか。
あの星は画面で見る限りただの砂漠の星で草がちょろちょろ生えているくらいで、あのバケモノたちの食う物など何もなさそう。それなのになぜかあの虫たちだけ無数に住んでいる。ありえない。虫のくせに惑星間攻撃を仕掛けてくる。なんじゃそら。

 さらに戦争のやり方がヘン。湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争を見てもわかるが、上陸作戦は大変リスクが高いのでまず最初に十分空爆を行って敵の戦力をできるだけ削いでおくのが現代の常識。ましてや敵は感情のないバケモノでもあり、作戦はあの虫たちの殲滅が目的で、星自体には何の価値もないのだから、上陸作戦は不必要。小惑星のひとつでもぶつければことは終わり、じゃない? ましてあんな怪獣相手に生身の歩兵が戦うなんざありえない。

 主人公たちも相当なお馬鹿でたまげる。仲間がいっぱい死んだのに「私たち3人そろえば無敵ねっ」はないだろ。
ま、この映画はオランダ人監督が馬鹿なアメリカ人を嘲笑うために撮ったと言う説もあるくらいとんでもなくデタラメな作品なのでその位は大目にみても良いのかもしれない。極右ハインラインのくだらない原作にはくだらない映画がお似合いである。

 こともあろうに続編が作られているらしい。誰が観るか。

★ 『SF/近未来』記事コンテスト参加中

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コンテストは、 400年後の未来が舞台の映画 『イーオンフラックス』の協賛で開催中です。



~ 3月11日(土)よりロードショー ~
.23 2006 映画(ハリウッド) comment5 trackback1

パトリック・オブライアン 新鋭艦長、戦乱の海へ


1800年、イギリス海軍のスループ艦ソフィー号の艦長に任命されたマスター・アンド・コマンダー(航海長兼海尉艦長)ジャック・オーブリーは、友人になった医者で博物学者のマチェリン、副官のディロンらとともに地中海へ。その頃のヨーロッパはナポレオン率いるフランス軍の脅威に脅かされていた。

 原題は「Master and Commander」。2004年にラッセル・クロウ主演でヒットした映画「マスター・アンド・コマンダー」の原作シリーズ第1作である。(映画は第10作の「The Far Side of the World」が原作になり、この小説は映画の直接の原作ではない。)
 映画は1800年ごろ、まだ蒸気機関のない頃の帆船での海軍生活を克明に描いた異色作だったが、小説は(当然ながら)さらにその描写は克明で、帆船の専門用語が飛び交い、当時のイギリス海軍の、現代ではありえないようなシステムなど、作者の知識の広さに圧倒される。資料的な価値が非常に高い作品である。

 しかし、小説としては…
 ストーリーの運び方が非常に稚拙で、読んでいても何が起こったのかよくわからない。例を挙げると、マチュリンとディロンの間にはなにか過去のつながりがあって、何かマイナスな関係だったはずなのに、結局それがどういうことだったのか説明されないし、ディロンがはじめの頃ジャックに反感を抱いていたのがいつの間にかなくなっている。そういう人間模様の描写は全くダメ。思うにこの作家は、帆船とその時代を描きたいと言う思いが優先で、その時代の人間などには興味がないのではないだろうか。

 と言うわけで、大変読みづらい小説を上下二巻。早読みの私でも相当時間がかかった。この映画が好きだった人も、残念ながら苦心して読むほどの小説ではないと思う。帆船大好きな人にしかお勧めできない。
 後この最低な邦題は何とかならなかったのだろうか。
.22 2006 英文学 comment0 trackback0

ヴァルヒャ/J.Sバッハ オルガン作品全集


 最近はHMVなどで非常に安いクラシックのCDが手に入るのだが、このヘルムート・ヴァルヒャのバッハ全集は10枚組みで約2000円(!)。戦後すぐの1947年~52年の録音ということでかなり古いモノラルだが、大オルガニスト、ヴァルヒャによる当時の決定盤的録音で、その価値は高い。今日届いたので早速聴いてみる。

 バッハのオルガン作品というと、ニ短調のトッカータとフーガが特に有名だが、他にも名曲が多い。よく「小フーガ」と呼ばれるト短調のフーガは有名。
 何しろ10枚組みなので、まだ一部しか聴いていないのだが、一枚目の「トリオソナタ」の何ともいえない渋い美しさに魅了されてしまう。おそらくここでヴァルヒャが弾いているのはあまり大きなオルガンではないと思うのだが、現代のオルガン演奏にありがちな巨大志向・音響志向のようなものはあまり感じられず、きわめて音楽的なオルガン演奏が聴こえてくるのだ。
 「トッカータとフーガ」のような音響の複雑な曲は、どうしても派手な演奏になりがちだが、ヴァルヒャの音楽はどこまでもストイックでストレート、現代の演奏に馴れた我々には逆に新鮮に思える。
 ヴァルヒャも、これを録音したアルヒーフ・レコードもまだ戦争の傷跡も生々しかったとおぼしき1947年にこの企画を立て、実現させたということ自体も素晴らしいことである。当時のドイツ人たちはこのレコードを聴いて何を思ったのだろうか。
 
 問題の録音の古さも、普通に鑑賞するには十分な音質で、バッハのオルガン曲をはじめて聴く人にも問題ないだろう。 
.21 2006 クラシック音楽 comment2 trackback0

ガッチャピン

 先日予告したとおり、ここのところオリンピック一色、しかも日本選手の成績が残念ながらぱっとしないので、盛り上がらない。本もなかなか読めないし、ブログのネタがありません。

 これでも紹介しておこう。ガッチャピン。ガッチャマンとガチャピンを組み合わせた今年一押しのキャラだとか。
gatchapin.jpg
う~~~~~~~~~~む
 私はやっぱパンダーゼットのほうがスキだな~
.20 2006 日記など comment4 trackback0

スノーボードクロス


オリンピックというやつはもちろん各スポーツの世界大会なのだが、普段あまり注目されない競技が脚光を浴びたり、新しいスポーツの見本市という性格も強い。毎回オリンピックでは新しい競技をいくつか目にするが、今日(16日)放送されていたスノーボードクロスは最高に面白い新競技だった。
 これは簡単に言うとスノーボードを使ったクロスカントリーというか、どちらかというとモトクロスに近い競技で、今回のオリンピックではまず一人づつ滑ってタイムトライアルする予選があり、この予選の上位32名が決勝ラウンドに進出、決勝ラウンドでは4人が同時に滑って上位2名が勝ち進むというスタイルで行われた。
 この4人で競う決勝ラウンドが、すごくエキサイティングで面白い。接触して転倒でもすれば優勝候補選手が一瞬で消えてしまうのだ。

 今日のレースでも予選トップタイムの選手が一回戦で姿を消したりという波乱の展開、さらに予選で26位だった日本の千村選手が一回戦2位で通過してベスト16入りの健闘を見せて盛り上げてくれたし、決勝の白熱のデッドヒートまで目が離せなかった。
 我が家では全員で手に汗を握って結局決勝まで観戦してしまった。決勝まで来ると私も娘たちも選手の名前まで覚えてしまって、「誰が勝つと思う?」「ジデックが勝つと思うよ」「やっぱウェスコットでしょ」みたいな会話をするくらい真剣に見ていた。
snowboadcross.jpg
上は決勝の写真。掲載早ッ!!
 それにしても世の中にはこんな知られざる面白いスポーツがあるんだなあ。だからオリンピックは目が離せない。
.17 2006 その他スポーツ comment2 trackback0

空中ブランコ乗りのキキ

 これは我が家の長女RINRINの、国語の教科書に載っていた別役実の童話。短いが印象深い作品である。こちらで全文が読める。

 実はRINRIN、学校の課題として、「この作品の続編を書け」という難問を持ってきた。そこで私もいろいろと続編を考えてみたのだが、このブログを読んでいる皆さんにもぜひ続編を考えてみてほしいなあ、と思った次第である。

 ぜひ続編を書いてTBしてください。

 私の書いたものは「続きを読む」で。かなり長いです。

.13 2006 本についての雑記 comment17 trackback4

Torino2006


 昨日からはじまっちゃった、トリノオリンピック。
 スキーにもスケートにもほとんどなじみのない九州人の私だが、いや、だから、だろうか。冬のオリンピックは全く非日常的な楽しみを感じてどの競技も楽しみに見ている。
個人的にはアイスホッケーの中継がもっと見たいんだけど。
 というわけでしばらく更新が滞るかも…

 それにしても開会式のパヴァロッティ。引退したはずの彼が「誰も寝てはならぬ」を歌ったのにはちょっとビックリした。
 やはり声の衰えがありありと出ていてちょっと悲しかったし、NHKのアナウンサーが歌の途中で曲の紹介をしたのには怒りを通り越して殺意を覚えた。
 それにしても「誰も寝てはならぬ」とは素晴らしい選曲。…曲名どおり夜っぴてTVに向かう羽目になるのかな。
.12 2006 その他スポーツ comment0 trackback0

ウイリアム・シェイクスピア マクベス


 シェイクスピアシリーズ、第5弾はついに四大悲劇に到達。この「マクベス」は四大悲劇の中でも一番短いが、きわめて密度の高い劇で、現在でもよく演じられる作品である。音楽作品や映像化作品としてはヴェルディのオペラや、黒澤の「蜘蛛巣城」が有名。クドカン脚色の「メタルマクベス」というのも今話題になっているようだ。

 戦争に勝って凱旋してきたスコットランドの武将マクベスの前に魔女が現れ、マクベスに対してコーダの領主になり、さらに王になると予言する。
 その直後にコーダの領主に任じられたマクベスから魔女の予言を聞いたマクベス夫人は夫に、王を殺害して王位を得るように唆す。
 マクベスは勇猛な武将だがそれまでは大それた野心を抱いたこともなかったらしく、夫人に唆され、はじめて王殺しを決意する。王を殺害し自身が王となったマクベスだったが、殺害した友人バンクォーの亡霊を目にして狂乱する。不安に駆られたマクベスは魔女たちを訪れ「バーナムの森が動くまでは王の座は安泰」「女の腹から生まれた者には殺されない」という予言を得て心強く思う。
 一方、先王の息子マルコム、その部下マクダフらはイングランドに逃れていたが、マクベスを討つためにスコットランドに兵を挙げる。マルコムの軍勢は木の枝をかざしてバーナムの森を進軍し、それがあたかも森が動くように見え、さらに戦場で対峙したマクダフが母の腹を割いて取り出された(今で言う帝王切開)と聞いてマクベスは魔女の言葉のわなに気づく。

 まずマクベス夫人について述べないといけない。この夫人はシェイクスピアの全作品中最高の悪女で、王を殺害するときも「寝顔が父に似ていなかったら私がやったのに」と言うほどの、野望のためには人殺しも辞さない女である。シェイクスピアの時代にこのキャラクターはさぞ驚かれ、恐れられただろう。現代の悪女たちの祖先のような存在だ。それでも最期は自分の犯した罪の意識から発狂して死んでしまうのだが。
 マクベスは逆賊にして暴君なのだが、そのわりには気が小さい。しかし彼が生まれついて粗暴な男だったらこの悲劇は成り立たないわけで、性格の弱さも悲劇を構成する重要なファクターなのである。
 さらに、超自然の存在としての魔女たち。彼女らはマクベスを唆し、騙してこの悲劇の骨子を形成する。「ハムレット」の亡霊と同じように主人公に事件を起こすきっかけを与えるのだが、ハムレットの亡霊の正体が敵討ちを求めるハムレットの父で、ハムレットの疑念が生んだ妄想と見ることもできるのだが、マクベスの魔女はそうではない。マクベスは魔女の予言の言葉を無視することもできたのだ。マクベスはその優柔不断な性格が災いして魔女の仕掛けたわなに自ら落ちて行ったのだ。

 そしてラスト、戦場でマクダフと対峙したマクベスは魔女たちの二枚舌に気づき絶望するが、それでもマクダフとの一騎討ちに赴くのである。もはや予言に守られない、ただの男として。
.09 2006 シェイクスピア comment0 trackback1

第10惑星:続報


さて最近また「第10惑星」のキーワードでこのサイトを訪れる方が多いようだ。
 なぜかな~と思ったらこのasahi.comの記事あたりが原因かと思う。この記事によると、『米科学者らが昨夏に発見を公表した太陽系の「第10惑星」は直径約3000キロで、冥王星(直径約2300キロ)より確実に大きいことがドイツ・ボン大学などの観測で確かめられた。太陽の周りを回っていても小さな天体は惑星とは認められず、「第10」を惑星と認めるかどうかは今夏の国際天文学連合で議論される。研究グループは、「これに惑星の地位を与えなければ、冥王星を惑星と呼ぶ正当な理由がなくなる」としている。2日付の英科学誌ネイチャーに論文が掲載された。』ということだ。上の写真はこの記事を元にした大きさの比較。右から地球、月、カロン、冥王星、第10惑星。
 ところがこの記事の裏付けになる記事をNASAやJPLのHPから見つけられずにいる。

 「第10惑星」の、これまでに報道されたデータをまとめると、「第10惑星」は(冥王星を含めても)これまでに発見された最大のカイパーベルト天体で、近日点で約54億キロメートル(地球・太陽間の約36倍)、遠日点が146億キロメートル(太陽・地球間の97倍)に達する楕円軌道を約560年の周期で公転している。直径は2700km前後、直径約250kmの衛星を持っているらしい。
 2003年にすでに発見され2003UB313という符号をつけられていたが、大きさがはっきりしなかったので昨年夏までは注目されていなかった。名前はまだないが、発見者の米カリフォルニア工科大のマイク・ブラウン博士らは「第10惑星」をXena、衛星をGabrielleと呼んでいるそうである。(これはあくまでも仮称だそうだ。)

 さてところでカイパーベルト天体ってなにさ、と言われそうなので解説しておくと、カイパーベルトは海王星軌道の外にある小天体群のことである。こう言うと火星と木星の軌道の間にひしめく小惑星帯のようなものをイメージするが、カイパーベルトはそれとは少し違う。
 太陽系は基本的に外側に行くにしたがって過疎化していく。木星軌道の内側の密集具合とその外側の過疎ぶりは大きく隔たっている。冥王星探査船「ニュー・ホライズン」が一年で木星に近づくのに、次に冥王星にたどり着くまで8年半かかることを考えると、外惑星がいかに遠いかわかると思う。
 アニメの影響で小惑星帯というと石ころがごろごろ飛んでいるようなイメージがあるが、実際にはずうっとさびしいのだ。しかし、カイパーベルトはもっとさびしい。たしかに大きな天体もあるが、その密度は小惑星帯などよりもさらに低いのである。
 今回打ち上げられた冥王星探査船「ニュー・ホライズン」が冥王星探査後カイパーベルト天体のどれかに接近すると予定されているようだが、カイパーベルト天体はまだ直接探査機が訪れたことはない。ボイジャー2号の撮影した海王星の衛星トリトンがもともとカイパーベルト天体だったものが海王星の重力に引かれて衛星になったとされている。
toriton.jpg
これを見る限りは巨大な雪玉なのだが、冥王星には表面に濃淡があるようだし、カイパーベルト天体のセドナは火星よりも赤いそうだ。どうやら「カイパーベルト天体はこういうもの」とひとくくりには出来ないようだ。
 NASAのページにはトリトンの驚くほど高解像度の写真もあるので興味のある方はどうぞ。
.07 2006 宇宙 comment2 trackback0

チャーリーとチョコレート工場


Charlie and the Chocolate Factory
2005年米

監督:ティム・バートン
出演:ジョニー・デップ
フレディ・ハイモア
ヘレナ・ボナム・カーター

 昨年秋に公開されヒットしたロアルト・ダール原作、ティム・バートン監督作品。いまさら私がストーリーを述べる必要はないだろう。
 うちの女どもは三人で劇場に観に行ったが、私はスケジュールがあわず観に行けなかった。今回DVDが発売され、やっと観る事ができた。

 結論から言うと、めちゃめちゃ面白かった。ディズニーランドのアトラクションのノリだ。
 ジョニー・デップ演じるウィリー・ウォンカ氏は事業で大成功を収めた人間にありがちな変人で、世界中からゴールデン・チケットに当たった5人の子供たちを工場に招待し、一番まともな子を自分の後継者にしようとするのだが、集まったのはろくでもないガキばかり。まともなのは極貧少年チャーリー・バケットだけだった。
 このチャーリー以外のガキが4人揃いも揃って信じられないクソガキばかり。ウォンカ氏はこのクソガキどもをあの手この手で葬っていく。ひとり片付けるたびに観ている者はカタルシスを感じ、画面ではウンパ・ルンパが歌って踊るという不思議な趣向で映画は進んでいく。「2001年宇宙の旅」をはじめ有名映画や、Queenやビートルズのパロディも連発。

 そして、原作にはない(と原作を読んだRINRINは言っている)ウォンカ氏のトラウマとも言うべき父(サルマン/ドゥークー伯爵の名優クリストファー・リー)との確執と和解が描かれ、この監督らしく家族愛の素晴らしさを強調して終わる。
 さてそのラスト、チャーリーの家をウォンカ氏が尋ね、一緒に夕食を囲むシーンの後カメラが引いていくと、チャーリーの家が工場の中の、チョコレートの滝のある草原にあるのだが…
 実はこのシーンを見て私はタルコフスキーの「惑星ソラリス」のラストを連想してしまった。一度そう考えてしまうと、この工場の中のバケット家は…あるいはチャーリーとウォンカ氏の再会から後のエピソードすべてが、ウォンカ氏の幻想の中で作り上げられた物だったのだろうか? などと深読みしてしまった。

 主演のジョニー・デップのいつもながらの怪演も素晴らしいが、子役たちの演技が見事。ジョーじいちゃん(デヴィット・ケリー)もいい味出している。
.05 2006 映画(ハリウッド) comment2 trackback0

イスラエル・カマカヴィオオレ FACING FUTURE


イスラエル・カマカヴィオオレISRAEL KAMAKAWIWO'OLEはハワイの歌手。ハワイに行くとどこのコンビニエンスストアにも彼のCDが置いてあるほどのポピュラーな歌手だ。ジャケット写真からも判るように途方もない巨体の持ち主である。小錦以上かも…
でかい人が多いハワイ人の中でも相当な巨体だと言えるだろう。
このでっかい身体からは想像もつかない、やさしく包容力のある声で15曲、とても心地よい作品である。

 ハワイアンというとフラダンスの音楽のイメージがあるが、それとはかなり違う。一曲目の「Hawai'i '78 Introduction」のハワイアン・チャント風の導入で耳を奪われる。さらに「Over the Rainbow」のようなスタンダード曲や、ジョン・デンバーの「Take Me Home Country Road」などもカヴァーしていて起伏にに富んだアルバムだ。

さて、このIZ、やはりこの巨体が命取りだったらしく、1998年にわずか37歳で亡くなっている。
死因は心臓病。肥満には気をつけましょう。それにしても、もう10年でも長生きしてくれたら、ハワイアン・ミュージックの歴史を塗り替えた人物だったかもしれない。

…というのが以前書いたレヴュー(多少手を加えたけど)。今回ふと目にしたワイキキ・ビーチの写真を見て久しぶりに聴きたくなってきいてみた。
 これを聴いているとハワイの、あの暑くても心地よい風や、つるの垂れ下がった巨木や、デューク・カハナモクの銅像を思い出す。ああ、またハワイに行きたいなあ。
 そうそう、この作品を使ったMINMIN原作のFLASHアニメごろごろ the Movieもぜひ見て下さい。
.03 2006 世界のポップス comment0 trackback0

P.K.ディック アンドロイドは電気羊の夢を見るか?


 ディックの代表作で映画「ブレードランナー」の原作としても有名。20年ぶりに読んでみた。さすがに20年前に読んだときの記憶は薄れてしまった。
 ハリソン・フォード主演のこの映画はそのディストピア的な未来社会の描写が印象的で、SF映画ファンには評判だった作品である。
 この原作も基本プロットは同じで、火星から逃亡したアンドロイド(映画ではレプリカント)を処理しようとする賞金稼ぎ(映画ではブレードランナー)の物語。(私としては、映画のレプリカントとかブレードランナーとかの造語がとても我慢ならないのだが…)

 映画に盛り込まれなかった重要な要素として、マーサー教という一種の宗教がある。ディックはこの宗教を、(誰かがでっち上げた)まがい物でありながら主人公リックの、最後の頼るべきものとして描いている。
 よく考えてみると宗教とはもともとそういうものであり、冷静に考えると大抵が胡散臭い物なのだが、出所がどんなに胡散臭くてもそれによって救われ、心の平安を見出す人が多いことのほうが重要なのである。
 同時に人間とアンドロイドの間に横たわる差別や、死の灰の降る街の描写など、暗く重い内容なのに、全体の印象はユーモラスでほの明るい。ここがディックのいいところで、深刻な話を深刻なタッチで描いたりしないのだ。

 映画ではヒロイン扱いだったレイチェルが、原作では敵役の、いわばボスキャラだったというのも面白い。
 リックは物語中盤で、アンドロイドたちに感情移入しだしたが、終盤レイチェルに裏切られたことで考え直したような印象を受ける。アンドロイドたちと別れ、マーサーに導かれ妻のもとに戻り心の平安を見つけるのだ。
 アンドロイドたちはどんなに人間が心を寄せようとも、所詮マーサーとの共感すら出来ない。

 しかし、ロイ・ベイティーはアームガードを殺されて嘆きの声を上げるのだ。
.02 2006 SF comment4 trackback1

モーツァルト:歌劇「魔笛」 コリン・デイヴィス


今年の1月27日がモーツァルトの生誕250周年とかで、それを記念してNHK-BSで彼のオペラを連続して放送していた中の一本。片っ端からDVDレコーダーで録画しようと思っていたらチャンネルを間違えたりしてこれと「ドン・ジョバンニ」しか録れなかった。
 で、この「魔笛」はコリン・デイヴィスが指揮したイギリスのコヴェントガーデンのライブ映像である。上の写真はほぼ同内容のDVD。ちなみにこの写真に写っているのはディアーナ・ダムラウ扮する夜の女王。

 まず冒頭、テロップでキャストが紹介されるのだが、ヴィル・ハルトマン、ドロテア・レシュマン、ディアーナ・ダムラウ、フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ…あれれ、一人も知ってる歌手がいないなあ、とちょっと不安を覚えながら観はじめた。
 しか不安は杞憂で、出てくる歌手はみんな若くて歌も素晴らしい。芝居としてもよく出来た舞台で、最近はやりの抽象化したり現代化したりした舞台ではなく、基本的に伝統的な舞台に現代的な解釈をプラスしたバランス感覚に優れた演出で、このわかりにくいというか物語的に破綻しているオペラをうまく見せてくれた。実はこのオペラ、生で2回観た事があるのだが、今回のヴィデオが一番物語を理解しやすかったと思う。

 それよりもなによりも、今回MINMINがすごく楽しんで観ていたのが面白かった。彼女の場合映画より舞台のほうに惹かれるようだ。コロラチューラで超絶技巧の「夜の女王のアリア」を聴いて「すごーい」と感心し、しまいには歌真似したりしていたくお気に召したようである。
 彼女の一番のお気に入りはパパゲーノ。パパゲーノを歌ったキーンリーサイドの芝居がとても楽しかったらしい。
 おかげで全部見るのに3日もかかっちゃったけど。
.02 2006 クラシック音楽 comment0 trackback0
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