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第10惑星



ジェット推進研究所(JPL)の記事によると、2003年に見つかった太陽系外縁部のカイパーベルト天体、2003UB313をカリフォルニア工科大学のマイク・ブラウン博士のグループが追跡調査したところ、この天体が560年の公転周期と楕円の軌道をもち、冥王星の少なくとも1.5倍の直径を持つことが明らかになった。
 第10惑星発見!とセンセーショナルな見出しをつけるメディアも多いのだが、実は昨年、「第10惑星」がなんと三つも見つかっているのをご存知だろうか?
 そもそもカイパーベルトというのは、海王星軌道の外側にある小惑星帯のようなもので、ここにはかなり大型の天体もたくさんある。冥王星もカイパーベルト天体のひとつであると言うのが現在の通説だが、慣例として第9惑星とされている。
昨年見つかった三つの「第10惑星」とは2004DW、クアーオアー、セドナの三つでどれも直径1500km前後とかなり大型である。(ちなみに最大の小惑星セレスが直径約950km、冥王星が約2300km、月が約3500km。冥王星やセドナなどは月よりもはるかに小さいのだ。)
 しかしこれらの天体は冥王星よりも小さいので惑星とはされず、「惑星」Planetと「小惑星」Asteroidの中間をとってプラネトイドplanetoidというとても日本語に訳せそうもない呼称で呼ばれている。(誰かいい日本語訳を考えついたら教えて欲しい。)
 ところが今回のこの天体はすくなくとも冥王星の1.5倍の直径を持つということで、プラネトイドとは呼びがたい。そしたらやはり惑星ということになるのか?逆にこの天体を惑星でないとしたら冥王星も惑星の座から転げ落ちるのだろうか?
 
 それと、これは科学とは無関係だが、第10惑星だとするにしろ、冥王星が惑星でなくなるにしろ、星占いはどうなるのだろうか? 興味は尽きない。
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.30 2005 宇宙 comment4 trackback4

スターウォーズ・ゲームあれこれ vol.1

先日スターウォーズ・エピソードⅢを観てからというもの、MINMINとRINRINはすっかりスターウォーズに凝りまくっている。
MINMINなどはジェダイの騎士になりたいなどと言い出す始末で、そこでスターウォーズ関連のゲームソフトの体験版を色々とインストールしてみた。

ジェダイナイト・ジェダイアカデミー
これはジェダイの見習い騎士を操作してミッションをクリアするアクションゲームで、体験版では二つのステージをプレイできる。プレイヤーのカスタマイズも可能で、ライトセーバーのデザインや色を選んだり、プレーヤーの人種や性別を選んだりと、かなり遊べる。ひとつめのタトゥーインのステージは簡単だが、もうひとつのChandrilaという惑星のステージはかなり難しい(ダーク・ジェダイがバンバン出てくる)ので、まだまだ楽しめそうだ。


スターウォーズ・スターファイターはシューティングゲーム。体験版ではエピソード1でアナキンが操縦したナブー・スターファイターを操ってアミダラの乗るロイヤルクルーザーを敵から守るのだがこれが劇ムズ。敵と交戦しているうちにロイヤルクルーザーを見失ってしまい、時間切れ。製品版買ってもクリアできそうにない。


スターウォーズ エピソード1 レーサーはその名の通りエピソード1に出てきたポッドレースを戦うレースゲーム。製品版ではいろんな惑星のいろんなコースを転戦し、マシンをアップグレードしていくが、体験版ではタトゥーインのコースのみを走る事ができる。映画同様、走っている間に故障箇所を修理したりできるところがユニークだが、ゲームそのものの古さは否めない。

ここに書いている体験版はいずれも英語版だが、Gamespotなどで無料でダウンロードできる。ただし無料のユーザー登録が必要で、登録するとバルクメールが嵐のように届くようになるのでいつ捨ててもいいようなアドレスで登録しよう。

まだまだあるぞSWのゲーム。というわけで、つづく。
.29 2005 スター・ウォーズ comment3 trackback3

図説 ヒエログリフ事典



 古本屋で見かけてどうしても欲しくなって、古本なのに1680円も出して買ってしまった。
 ヒエログリフとは古代エジプトで使われた絵文字である。皆さんもTVの教養番組などでエジプトの遺跡などの壁面にびっしりこの絵文字が書き込まれているのをご覧になった事があるのではないだろうか。
 さてヒエログリフは具象的な絵(人や鳥など)が多いので漢字のような象形文字だと思っている人は多いようだ。それは間違ってはいないのだが、アルファベットのような表音文字としての部分もあり、そのまま象形文字として使われた文字もあり、それが混在しているのだそうだ。
 そういう意味では日本語で象形文字から派生した表音文字のひらがなと、象形文字の漢字が混じっているのと同じような表記法だったと言える。
 この本は700文字あるというヒエログリフのそれぞれについての文化的側面を述べることによって古代エジプト文化の細部に光を当てる。これだけでも極めて資料的な価値は大きい。
 個人的にはカルトゥーシュ、母音の省略、発音されない決定詞といったヒエログリフ独特の文法についてもっと詳しい解説ががあるともっと良かった。
 それにしてもはじめてこれを解読したシャンポリオンは、やはり天才だ。この本を片手に持っててもなかなか読めそうにない。
.29 2005 その他の本・非文学 comment0 trackback0

ガルシア・マルケス エレンディラ



 六つの短篇と中篇「無垢なエレンディラと無常な祖母の信じがたい悲惨の物語」を収めた作品集。
「百年の孤独」と「族長の秋」の二つの大作の中間に書かれたと言うこの作品集は、ガルシア・マルケス本人によると「大人のための残酷な童話」なのだそうだ。いきなり冒頭の「大きな翼のある、ひどく年とった男」でこの作者らしいイメージの飛翔に出会う(…というより、いまふうにぶっとんでしまう、と言った方がぴったりくるかも)。
 このあとの作品でも「この世で一番美しい水死人」など強烈なシュールレアリズムな世界が展開するのだが、やはり表題作「…エレンディラ…」は強烈。
 これはローソクの火の不始末で家を焼いてしまった罰として祖母から売春を強要される少女エレンディラと、彼女の復讐を描く中篇で、この作品集の分量の半分を占めている。これは短いながら「族長の秋」に匹敵する傑作で、その物語のぶっとび具合といったら…これは読んでもらわないとわからないが、とにかくすざまじい。殺してもなかなか死なない化け物のようなおぞましい祖母。そして意外な…いや、よく考えると特に意外ではないかも知れないラスト。この作者の幻想的な部分がびっしりつまった作品である。
 その他にもちょっとボルヘスっぽい「奇跡の行商人 善人のブラカマン」、「族長の秋」を直接連想させる「愛の彼方の変わることなき死」など傑作が揃った作品集である。
 この作者をはじめて読む人にも好適な一冊だと思う。
 次は「予告された殺人の記録」を確保済み。でもいつになったら読めるかな~
.26 2005 中・南米文学 comment2 trackback0

液晶モニター買いました



 初めてパソコンを買ったのは2000年の事で、今までその時買ったCOMPAQの15インチのCRTモニターを使ってきたのだが最近さすがにヘタってきて、画面がブレ出したので思い切って買い換えることにした。
 私が選んだのはBenQのFP71E+という機種で17インチで3万円ちょっとの製品。BenQは最近日本でも販路を増やしつつある台湾のメーカーで、このメーカーの液晶モニターは非常にいい製品の割りに安価なハイCP機。はっきり言って単体モニターでシャープやSONYあたりを選ぶのは(値段を考えると)とてもマヌケなことである。
 三菱にはこの製品と指して換わらない価格帯の製品もあるが画質が明らかに下がるし、私は個人的に三菱の電気製品を全く信頼していない(VTRも電話機もエアコンも掃除機も、私が嘗て買ったこのメーカの製品はどれもとんでもない粗悪品だった)ので選択肢に入らなかった。
 さてこのモニター、液晶はCRTよりワンサイズ大きいので大きくて当然なのだが、置いてみると本当にデカいし、店頭で見ると上位機種がやたらに明るい画面なのでこの製品暗いのかな、などと思っていたら家ではやたらに明るいので明るさを絞らないといけないくらいだ。
 ただCRTに比べるとやはり反応が遅いようで、3Dゲームソフトでやや見にくい時があるようだが、それは許容範囲内。なかなかいい買い物であった。
 …でもPCが古いままなのだ。いまどきpentiumⅢ 1Ghz。もうしばらくはこれで我慢するかなあ
.25 2005 PC/家電/カメラ等 comment2 trackback0

スター・ウォーズ エピソードⅢ シスの復讐



Star Wars EpisodeⅢ- Revenge of The Sith
2005年 米
ジョージ・ルーカス監督
ユアン・マクレガー
ヘイデン・クリスチャンセン

 今日、観に行ってきた。以下ネタバレは最小限にとどめたつもりです。
最初の作品「新たなる希望」から28年目の完結作。
前作「クローンの攻撃」がサイアクだったので、そしてあまりにも話をややこしくしてしまっていたので、今回はストーリー的にどう折り合いをつけるのか、旧三部作へうまく繋がるのか、というのが一番の見所であった。
 結果は、まずはお見事、と言っておこう。
冒頭のシリーズ最大の大規模な艦隊戦から、ラーズ夫妻が赤ん坊のルークを抱いてタトゥーインの夕陽を眺めるラストシーンまで一気に見せてしまう。
さらにエンドロールの最後にオリジナルのテーマ音楽が鳴り響いた時はちょっと感動してしまった。
 4本のライトセーバーを振り回してオビ・ワンと戦うグリーヴァス将軍というドロイドと生物の中間みたいな敵キャラがいい。凶悪な、敵の中心人物でドロイドのくせに咳き込んだりして人間臭いかと思うと、宇宙船の窓を破ってしまうドロイドならではの攻撃ぶりには感心してしまった。
 見せ場たっぷりで非常にわかりやすいストーリーで、前作の退屈さを帳消しにして余りあると言っていいだろう。
 もちろんわかりやすいストーリーは言い方を換えれば単純すぎるストーリーとも言えるわけで、アナキンがなぜダークサイドに落ちなければいけないのか? それが自分の見た悪夢からパドメを守ろうとするという理由はあまりにも単純で、そのためにアナキンはメイス・ウインドウを殺害し、さらにシディアスの命を受けてジェダイ・テンプルのパダワンたちを虐殺してしまう。これはどう考えてもパドメを守るという動機とかけ離れていると思うのだが。
 そのパドメも前作までと違って今回はなんだかヨワイ女に描かれているのもなんだかな~という感じであった。

 あと細かい事。R2-D2はメモリーを消去されたはずなのになぜ「新たなる希望」でオビ・ワンを覚えていたのか?
 レイアが「ジェダイの帰還」でルークに語る母の話は誰の事だったの?オーガナ夫人?
 ヨーダとオビ・ワンはルークが現われるまでなぜ地方に引っ込んだままだったのか?R2-D2とC3POがタトゥーインのルークの許へやってきたのは偶然なのか?
もしそうならヨーダとオビ・ワンは偶然を待っていたのか?

 それと…今までにスターウォーズを観ていない人は最初はやっぱり4、5、6、1、2、3の順に、要は製作順に見ないとダメ。だって1から観ると4で提示されるあんな謎こんな謎が謎でもなんでもなくなっちゃうから。
.20 2005 スター・ウォーズ comment2 trackback8

モーリス・ルブラン ルパン対ホームズ



 普段本を読まない娘のMINMINが古本屋で「これ買って」と言うので買ってあげた。なんだかえらく長くかかって読み終わったらしく、私にまわってきたので読んでみた。
 私は怪盗ルパンシリーズは読んだ事がないし、コナン・ドイルのホームズシリーズは現代の目で見るとリアリティに欠けると思うので、推理小説の古典という以上の価値を見出せないのだが、ドイルの作品で謎解きよりも重要なのはホームズという探偵のキャラだと思う。
 残念ながらこの「ルパン対ホームズ」のホームズはドイル描く所のホームズのキャラに比べて、俗物すぎるような気がする。ストーリーも謎解きも陳腐な印象はぬぐえない。
 それよりも読んでいてアニメ「ルパン三世」(マンガではない。アニメは傑作といえるものも含まれるが、モンキー・パンチのマンガは退屈の一言に尽きる。絵も最低)がいかにオリジナルのルパンを踏襲しているかがわかって面白かった。
 銭形警部も、峰不二子もルブランの作品の中にちゃんといるんだね~
 ところでMINMINの感想は「なんだか最後がよくわかんなかった。」そうな
.18 2005 ミステリ comment0 trackback0

Googleマップで世界の旅

googleのマップ機能がなかなか面白い。
日本の場合は住所を入れると表示してくれて、「サテライト」のボタンを押すと衛星写真に切り替わる。マップは国内だけだが衛星写真は世界中が見れて、大都市は極めて解像度の高い衛星画像が表示できる。しかしマップと連動しないので、名所を探すのはなかなか難しい。

これはご存知エジプト、ギザのピラミッド。右の方に小さくスフィンクスが写っている。


これはローマのコロッセオ。現代のサッカー場くらいの大きさである。


パリの凱旋門。ヨーロッパは内陸に都市があるので見つけるのはとても難しい。
 
他にもNYの自由の女神やシドニーのオペラハウス、ナスカの地上絵やエアーズロックなども見つけてみると楽しそうだ。
.15 2005 PC/家電/カメラ等 comment7 trackback0

ジョン・ゴールズワージー 林檎の樹



 時は20世紀初頭。中年の男、アシャーストは銀婚式の記念に妻ステラと出会った思い出の地、トーキーをたずねるが、その帰路、妻と出会う直前に逗留したダートムーアに立ち寄る。そこでアシャーストは26年前の若き日にここで出会い、愛した美少女ミーガンの事を回想する。
 本の裏表紙の荒筋には「(青春の)眩しさを、哀愁をこめて甘美に奏でたロマンの香り高い作品」とある。確かにこの紹介どおり、詩的で美しい作品である。イギリスの春の田園風景が眼前に広がるかのような描写がとても素晴らしい…しかし!
素直な感想は…この男って最低!…と言う感じである。
 アシャーストはミーガンを甘い言葉で誘惑し駆け落ちしようとまで言っておきながら、その次の日にステラに出会うと、3日目にはミーガンを捨ててしまうのである。
 アシャーストのミーガンへの思いは決して軽々しい物ではなかったはずだが、なぜこうも簡単に心変わりしたのか?それはやはりアシャーストの心の中に潜む階級意識が、都会人の自分と田舎娘の結びつきに疑問を抱かせたからなのだろうか。自分勝手に決めた別れをミーガンに説明できるはずもない。
そして26年後、アシャーストを襲う衝撃のラストには胸が苦しくなった。

 だが、私はこれを読みながらアシャーストを責められない自分にも気付いている。私も若い頃、アシャーストと似たようなことをした覚えがあるのだ。若い日、誠実さ(人に対してか、自分に対してか、あるいは世間に対して?の誠実さ)にこだわってかえって人を傷つける事はよくある事で、それは今も昔も変わらないのだろう。
 男なんてみんな最低なのだ。
.14 2005 英文学 comment0 trackback0

ホルヘ・ルイス・ボルヘス 不死の人



 ボルヘスという人は多分アイディアがあまりにも豊富でひとつのストーリーから長編小説を書いていたのでは自分の、次から次に湧き出るイマジネーションを捌けないと分かっていたのだろう。それで、「伝奇集」やこの作品のような短編集と言う形になったのだと思う。
 ある川の水を飲んで不死になった男の運命を描く表題作「不死の人」などはわずか30ページしかないが、10倍以上の分量があってもいいストーリーで、もしそんな作品が書かれていたら人類はもうひとつ大切な遺産を得たかもしれない…などと思わずにいられない。
 収録された他の作品も10ページ前後の作品が多いが、短編小説が普通持つ断章のイメージではなく、長編小説の梗概のようなイメージの作品が並んでいるが、特に「アベンハカーン・エル・ボバリー おのれの迷宮に死す」の実際の迷宮と心の中の迷宮の錯綜したイメージが印象に残った。
 最後に収録されている「エル・アレフ」はSF的な作品で、この作品で世界が凝集した特異点エル・アレフをボルヘス自身が覗き込む。

「伝奇集」ほどひねった作品集ではないので、こちらの方が普通の読者向けかもしれないが…
 このイマジネーションの洪水。ボルヘスはエル・アレフを本当に覗いたのかもしれない。
.11 2005 中・南米文学 comment0 trackback0

ストルガツキー みにくい白鳥

swan.jpg

 この作品についてはこれまでにもくろにゃんこさんのブログなどで私もずいぶん発言しているが、極めて多面的な作品で、見方によっては全く違う印象を受ける事がありそうだ。完全な失敗作と言い切る人もいる。
 難しい作品だが、今回数年ぶりに通しで再読してみたので私なりにレヴューしてみようと思う。

 ヴィクター・バネフは流行作家である。彼の住む街はここ数年雨が降りつづいている。彼の娘のイルマら子供たちはギムナジウムに閉じこもっていて、「濡れ男」と呼ばれる一見皮膚病患者のような人たちに心酔している。しかし街の人たちは「濡れ男」を嫌っている。
ある日ヴィクターは子供たちからギムナジウムに呼ばれ、自作に対し質問を受けるが、子供たちが神童であることに気付く。
 …ところで私はこのレヴューで主人公の名をヴィクターと書いている。邦訳(中沢敦夫訳)ではヴィクトルとされているが、彼はロシア人ではない(この作品の舞台自体旧ソビエトではない。ここはストルガツキー作品の重要ポイント。登場人物がロシア人かそうでないかはとても重要)ので、ロシア風のヴィクトルよりも英語風のヴィクターのほうが適当であると考えた。

 この作品ははたしてSFなのか、それとも他の何かなのか?
SFの一種とも、全くSFではないとも読めるし、他の人のレヴューなどを読むと寓話としてとらえている人が多いようだ。他には世代断絶の物語と考える事もできるし、イデオロギー論と捕らえることも可能であろう。
 私は今回読んでこの作品はやはり一種のSFであると考えた。
主人公ヴィクターが子供たちを進化した人間と捉え、彼らのことが理解できない事を理解するシーンがそれを物語っている。そこで今回は寓話としての曖昧さを排するスタンスで読んでみる事にした。この作品は同じ作家の「波が風を消す」と同様、人類の中に萌芽した超知性と旧態依然の現人類のジレンマについて描いた作品なのである。

 とはいえ、ただそれだけの作品でないこともまた確かで、子供たちは超知性の萌芽に過ぎず、「波が風を消す」の類人類のような酷薄さはまだ持っていない。子供たちは新しい世界を建設するつもりであり、古い人類の幸福などには興味がないと言い切るが、イルマは父のヴィクターのことをそれなりに愛しているのである。

 超知性の萌芽たる子供たちを導く立場にいると思われる「濡れ男」たちが謎の存在としてこの物語の中核を担っている。彼らは登場人物の一人ゴーレムの言葉として、ある日「発病」して「患者」になるが、感染はしないということくらいしか説明されない。彼らの目的についても全く説明されない。そして彼らは物語の最終局面で不意に姿を消すのである。ゴーレムはヴィクターに言う。「彼らはいない。存在していなかったと考えていい」これは何を意味するのか? 物語的には役目を終えた彼らは去っていったと考えてもいいのだろうが、ではどこへ?
 ズルズマンソルはダイアナの前の夫だったのだから、「濡れ男」が幻覚や超自然現象や異星人ではない(ましてや猫の化身でもない)事は明らかである。とすると、次の場所へ向かったと考えるのが妥当かと。彼らの仕事は終わったわけではないのだ。(どんな仕事かよくわからないが)

 ではあのラストシーンは?最後に雨が上がり太陽が照って、街が太陽にあぶられて融けて行き、そこをヴィクターらは幸福と希望を感じながら歩く。歩きながらヴィクターは「これは素晴らしい。しかし帰る事を忘れないようにしよう」と思って幕となる。
 街を融かしたことがすなわち新しい世界の創造の第1歩なのである。超知性へ変貌をはじめた子供たちは街から大人たちを追い出し、新世界の創造を開始したのだ。ヴィクターはこれを素晴らしいと思う。そう思う一方で新世界が自分の肌に合わないことも知っているのだ。なんてったって酒の飲めない世界なんてね。おいらもごめんだ。

 …と、なんだかかなり即物的なレヴューになってしまったが、とにかく多面的な作品なので何通りでもアプローチの仕方がありそう。同じ作品でイデオロギー論も書けそうだ。

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.05 2005 ストルガツキー comment4 trackback1

O-ZONE 恋のマイアヒ

 最近、私のノーミソの中でヘヴィーローテーションしているのが、知る人ぞ知るO-ZONE(オゾン)の「恋のマイアヒ」(原題:DRAGOSTEA DIN TEI)である。中学生の娘RINRINが発見してきたのだが、若い人たちの間でちょっと流行っているらしい。(といいながら会社の女の子たちも大抵は知らなかったが)
写真はアルバム「Disc0」。
ozone.jpg

 ヨーロッパで10週連続1位だったというこの曲を引っさげ日本の音楽界にまで乗り込んできたオゾンはモルドヴァ共和国出身の男性3人組のユニット。旧ソビエトが贈る、タトゥーにつづく2番目の刺客だ。
歌はモルドヴァの公用語であるルーマニア語で歌われている。したがってさっぱり意味がわからない。そこで適当に日本語を当てはめたflashが流行って火が点いたらしい。そのあたりは日本のオフィシャルサイトにも紹介されている。ついでに試聴もここで。
 それにしてもサウンドはありきたりなユーロビートだが、妙に耳に残るフレーズと怪しい歌声がなんとも印象深い。そしてあなたもいつの間にか「マイアヒ~ マイアフ~」と口ずさんでいる事請け合いだ。
.04 2005 世界のポップス comment4 trackback0

ウォルター少年と、夏の休日

wolter.jpg

Secondhand Lions
2004年 米
監督:ティム・マッキャンリーズ
ハーレイ・ジョエル・オスメント
マイケル・ケイン
ロバート・デュバル

 60年代。父のいない14歳のウォルターがひと夏の間、母の叔父兄弟、ハブとガースの家に預けられる。傍若無人な兄弟の生活に戸惑っていたウォルターだが…

 これはよくある少年の成長を描いた「ボーイズ・ライフ映画」なのだけど、老境に入りながらもぶっとんでいる二人の大叔父と心を通わせる少年を描いてなかなかの佳作である。
 ベテラン、マイケル・ケイン、ロバート・デュバルがセールスマンを銃で撃って追い返すゴーカイなじいさんのガースとハブ役で好演。
 原題の「Secondhand Lions」は「老いたる獅子たち」の意味だが、そのタイトル通り、ライオンも登場する。ハブとガースが狩をするために動物園から買うのだが、あまりに老いぼれなので撃つのはやめて、ウォルターが飼う事になり、最後はウォルターを守って死んでしまう。
ハブとガースは「ライオンとして死ねたのでこいつも本望だったろう」みたいなことを言う。
 若い頃中東で大暴れした(マユツバの)昔話を語り、愚連隊みたいな若者とケンカしてひねりつぶしてしまう彼らもまた、「老いたる獅子」なのである。
 全編を通じて暖かいユーモアとノスタルジーを感じるいい映画だ。

 それにしてもこの映画の一番の謎は、冒頭、二人の家をはじめて訪れるウォルターの足に食いつく犬たちと一緒にいたブタくんだ。
 途中からいなくなってしまうのだ。犬たちはいるのに。あのブタくんはどこへ行ったのだろうか…
.03 2005 映画(ハリウッド) comment0 trackback0

安部公房 第四間氷期

4kanpyou.jpg

 これはすごい!何がすごいって、たった3時間で読んじゃった!
ぐいぐい引っ張り込まれる求心力はすざまじいばかりである。
 SF的な設定のこの作品は、世界SF全集にも収録されているようだし、SFに分類されている事も多いようだ。
 しかし、読んだあとにゆっくり反芻してみると、SFとして見てもミステリとして見てもはっきり言ってお粗末なのである。未来を予測するコンピューターとその信奉者・頼木たちは、どう考えても自分たちの利益にならない新人類社会を成立させるために殺人もいとわない。(それは作者自身「あとがき」で自作の欠点としてあげている)
 それより何より、もう予想が出ている以上予想の内容を隠匿さえすればいいのだから、コンピューターは不要なのだし、研究所を閉鎖させてしまえばいいのだ。あんなに手の込んだ方法で勝見を追い込む必要はないのだし、
 さらには例のコンピュータ。私はレムの「ゴーレムⅩⅣ」を読んだばかりだったので、この作品のコンピュータがGOLEMに比べてあまりにお粗末で利己主義的なのには辟易してしまう。

 とか何とかいいながら、この不条理な、ありえない世界のありえない展開の物語をリアルに描き出し、現代の寓話として一気に読ませてしまう手腕はやはり只者ではない。SFとかミステリとしてではなく、「砂の女」と同じシュールレアリズム文学として読むべきなのだ。

 …ここまで書いてふと思ったのは…このコンピューターと頼木たちは、まるでコンピュータを教祖とするカルト教団のようである。そう考えると実はこの物語は、もう起こってしまった物語なのかもしれない。
.01 2005 日本文学 comment5 trackback1
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  • Livedoorへ移転しましたので、そちらでお願いします。
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