スタニスワフ・レム 砂漠の惑星
2005-04-30-Sat-23:30

宇宙巡洋艦「無敵」号は、消息を絶った「コンドル」号を捜索するためにレギス第3惑星へ向かったが、この星を支配していたのは無生物の「黒雲」であった…
これはレムの、うまくいかないコンタクトを描いた「エデン」「ソラリス」とともに三部作と言われる事が多い作品であるが、三部作中、いや、レムの全作品中でもかなり異色の作品である。
第一に軍艦が舞台でミニタリー色が強く、第二に「敵」の無生物は無生物であるがゆえに凶悪である。
ウエルズの「宇宙戦争」について火星人が凶悪、醜悪すぎる点を批判したレムは、人類を襲う最も凶悪な(凶悪である事が許される)存在としてこの無生物を考え出したのだ。だからこの作品でレムには、全く「コンタクト」を描く意図などなかったのではないかと思う。
この「黒雲」の生態についてはちょっと疑問もある。生産・補修する機関があるはずだが、描かれていない。もちろん無敵号が調査したのはレギス第3惑星のごく一部分だけなので見つけられなかっただけなのだろうが。
ハリウッドの映画ならすぐに続編を作ってそのへんを明らかにするんだろうけど、レムにはそんな気はもちろんさらさらない。
そして無敵号と黒雲の死闘の末、犠牲者を出しながらも、主人公ロハンは任務を遂行し、まるで人類の勝利でもあるかのような、共産主義的ハッピーエンドに一見、見えるラストシーン。
しかし無敵号は、そしてロハンは全く勝利などしていないのだ。
イワン・エフレーモフ 宇宙翔けるもの
2005-04-29-Fri-01:16
これは早川書房「世界SF全集」第33巻の巻頭に収められた短編。
エフレーモフはソビエトを代表するSF作家で、あのレムにさえ影響を与えた事があったほどの大物である。
彼の描き出すのは共産主義が到達した理想郷と、その中で義務を果たす人類の美しさである…うひゃー
とにかく共産主義に何の疑問も感じない…どころか、共産主義を褒め称えるプロパガンダ作品の作者。バリバリのコミュニストなわけだ。
そんな彼の作品をはじめて読んだ。
この作品は350光年の旅に出た人類の宇宙船が異星の宇宙船と遭遇してファースト・コンタクトをする、ただそれだけのストーリーなのだが、出会った相手の宇宙人がスゴイ。
酸素ではなくてフッ素を呼吸するのである。
彼らの空気は人類にとって猛毒。人類の空気は彼らにとって猛毒なのだ。
さらにエフレーモフはフッ素を呼吸する宇宙人の星を、気温などの環境から太陽のスペクトル成分まで予想して示してくれる。
そしてレムやストルガツキーとは正反対にめちゃめちゃ楽天的(というか能天気)な終わり方に愕然とした。
やはりあなどれないソビエトSF。この作家の代表作「アンドロメダ星雲」が読みたくなった
エフレーモフはソビエトを代表するSF作家で、あのレムにさえ影響を与えた事があったほどの大物である。
彼の描き出すのは共産主義が到達した理想郷と、その中で義務を果たす人類の美しさである…うひゃー
とにかく共産主義に何の疑問も感じない…どころか、共産主義を褒め称えるプロパガンダ作品の作者。バリバリのコミュニストなわけだ。
そんな彼の作品をはじめて読んだ。
この作品は350光年の旅に出た人類の宇宙船が異星の宇宙船と遭遇してファースト・コンタクトをする、ただそれだけのストーリーなのだが、出会った相手の宇宙人がスゴイ。
酸素ではなくてフッ素を呼吸するのである。
彼らの空気は人類にとって猛毒。人類の空気は彼らにとって猛毒なのだ。
さらにエフレーモフはフッ素を呼吸する宇宙人の星を、気温などの環境から太陽のスペクトル成分まで予想して示してくれる。
そしてレムやストルガツキーとは正反対にめちゃめちゃ楽天的(というか能天気)な終わり方に愕然とした。
やはりあなどれないソビエトSF。この作家の代表作「アンドロメダ星雲」が読みたくなった
ジョー・R・ランズデール ボトムズ
2005-04-26-Tue-17:31

時は1930年代、テキサス州マーヴェル・クリーク。
11歳の少年ハリーは妹と一緒に森の中で伝説の怪物「ゴート・マン」に遭遇して逃げ回るうちに黒人女性の惨殺死体を見つける。
治安官でハリーの父のジェイコブが捜査を開始するが、黒人に偏見を持つ人々がなかなか協力しないうちに、第2の事件が…
これは書店で見つけてなんとなく面白そうだったので買ってきた本。作者の事も全く知らなかった。
ハヤカワ・ミステリ文庫なので推理小説のつもりで読み出したのだが、推理小説として以外にも、この時代のアメリカ南部の闇を描き出す文芸作品としての側面、少年の成長をノスタルジックに描く「ボーイズ・ライフ」小説の側面も併せ持っている。
推理小説らしい謎解きには作者もあまり重点を置いていない。事件そのものは割と単純な、サイコ野郎の起こした猟奇殺人事件に過ぎない。
これは家族の絆の破綻と再生の物語として読むべき作品である。
人種差別に対する作者の糾弾の姿勢を強く感じるし、その点での作者の代弁者、父ジェイコブの信念を持つ生き様はハードボイルド小説のヒーローたちにも通じる。
それだけにラストで謎が解けるシーンでジェイコブが不在なのはストーリー上必然なのだがちょっと寂しかった。
不満なのは11歳の少年のダイアローグがいかにも硬すぎること。これは訳者の考え方なのかもしれない。
それと読後もなにか違和感が残っていたのだが、なんなのか気づいたのはハリーの同年代の友人がほとんど登場しない点。
11歳の子供にとっては親や兄弟と同じくらい友達が重要なはずだし、そこを描けばもっと作品に深みがでたかも
エイリアンVSプレデター
2005-04-26-Tue-16:52

Alien VS Predator
2004年 米
監督:ポール・W・S・アンダーソン
サナ・レイサン
ラウル・ボヴァ
大人気のB級SFシリーズ、エイリアンとプレデターが激突するという、話を聞いただけでウンザリの企画である。
ハリウッドにしろ日本にしろ、映画業界は結構こういう企画が好きらしい。古くは「キングコング対ゴジラ」最近では「ジェイソンVSフレディ」なんてのもあったよね。
さて問題の作品。ふたつの、元来全く違う作品の世界をくっつけると言うのはなかなかの荒業だと思うのだが、エイリアンシリーズでおなじみのウェイランド社が出てきたり、あの人造人間の原型であるビショップが登場するなど、エイリアンファンのつぼを押さえつつ、それなりに納得できるストーリーにはなってたかも。
くだらなーい、と思いながらも結構はまって観てしまいました。
疑問点
1.従来シリーズに比べ、エイリアンの成長速度が以上に速いのはなぜ? チェストバスターから成体になるまでになに食ってるのかも分からないし。
2.10月の南極は白夜じゃないの?夜はきわめて短いはずなのにシーンの大半が夜だったような…
3.南極にあの軽装で一人残された彼女は生き延びれたのだろか?
ストルガツキー トロイカ物語<アンガラ版>
2005-04-23-Sat-21:42

この作品は「月曜日は土曜日に始まる」の続編で、1968年に発表されたのだが、後に1987年になって同じタイトルで別の作品が発表された。前者をアンガラ版、後者をスメナー版と呼ぶ。大筋では同じ筋立てなのだが、違っている部分も多い。
今回はアンガラ版のほうだけについて書いてみる。
アレクサンドル・プリワーロフは研究所の76階にある魔法の町キテジグラードに「ブラック・ボックス」を捜しに出かけるが、ここには「トロイカ」と言われる異常現象を合理化する委員会があった。
アレクサンドルは融通の利かない官僚的な「トロイカ」と対決する羽目になる。
いんちき科学者のエーデルワイス、雪男のフェージャ、おしゃべり南京虫たちサブキャラが「ストーカー」のゾーンに転がってるブツなみに多彩で面白い。
全体にドタバタ調であるが「トロイカ」がソビエトの無気力で官僚主義的なお偉方を揶揄した物であるのは明白である。
もちろんそんなことは何も考えずに読んでもいい。結構そういう読み方をしても笑える作品だが、この内容であればこの作品が(そして作家が)当然受けたであろう弾圧を考えると笑ってもいられないかも。
ラヴル・フェドートヴィッチと言う「トロイカ」の大物はまさしく共産党幹部。滑稽だが、話すら通じず、おまけに強大な権力を持っているとても恐ろしいジジイである。だが(権力を除けば)身近にこんなジジイけっこう居たりして…
それでも笑い話にしたい作者たちの気持ちも分かるのだが、この作品の中に通奏低音のように響くアイロニーが笑い話で終わらなくしてしまう。
H.G ウエルズ 宇宙戦争
2005-04-20-Wed-20:49

超有名なSFの古典。スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演の映画もこの夏公開。
ストーリーはいまさら紹介する必要もなさそうだが、舞台は19世紀末のイギリス。火星人が襲来しビーム兵器や毒ガスで人類を殺戮し始める。主人公は生き延びるために逃走する。
恥ずかしながら今回はじめて読んだ。
ここに現われる火星人は、人類を征服し、食う事しか考えていない。徹底的に凶悪な敵である。
ウエルズの興味は火星人との不幸なコンタクトにも、いかにして人類が戦って勝利したかにも、ない。
これは人類初のパニック小説なのだ。
19世紀に、この作品が書けるというのは驚異的である。この時代、戦争はプロの軍隊同士による物であった。このため市民が被害を受けるという事はほとんどなかった。
戦争による難民などはこの時代にはなかったわけで、先を争って逃げる人々が大混乱を引き起こす様まで描きこんであるのは驚きであり、現代の、市民を巻き込む悲惨な戦争を大胆に予言した作品だとも言える。
後のSFに大きな影響を与えた偉大な作品。すべての宇宙人ものSFの原型であると言えるが、この後の作品がほとんどがこの作品のエピゴーネンになってしまった罪も大きな一作。
エレクトロプランクトン
2005-04-18-Mon-00:35

娘のMINMINが買ってきたNINTENDO-DSのソフト。
画面上でプランクトンを育てるのかと思いきや…ぜんぜん違う。これはゲームではない。
画面に泳いでいるプランクトンのような奴をペンで触ったりすると音を出す。
それがとてもキレイに響いてあたかも「偶然性の音楽」のように鳴る、といういわば環境ソフトである。
10種のプランクトンがいてそれぞれに鳴らし方が違う。
私が気に入ったのは「タイヨウチュウ」。配置した位置で音の高さが違い、うまく置くと非常に美しい音楽を奏でてくれる。
ほおっておくと夜になって音が潤むという芸の細かさもある。
他のプランクトンもそれぞれ面白い。
オーディオにつないで楽しみたいソフトである。
シザーハンズ
2005-04-17-Sun-21:21

EDWARD SCISSORHANDS
1990年 米
ティム・バートン監督
ジョニー・デップ
ウィノナ・ライダー
TSUTAYAに行ったらDVDが999円だったので思わず買ってしまった。
公開時に劇場で観た。確か併映が「ホーム・アローン」だったと思う。
その後はTVでも一度も観ていなかったので本当に久しぶりに今回観たことになる。
この監督の後の作品「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」を次女MINMINが大好きで何回も観ていたので、いろいろ共通したイメージを見つけられて面白かった。
音楽は激似しているし、「シザーハンズ」でエドワードの住む城の階段のわきのモニュメント(?)が「ナイトメア…」の敵役ブギーに似ていたり、城のシーンのロボットたちも何となくハロウィン・タウンの住人たちに似ていたり…
だがこの映画の全体の印象はディズニーの「美女と野獣」によく似ている気がしたのは私だけだろうか。この映画のエドワードとジムの関係はまんま「美女と野獣」の野獣とガストンに重なる。ラスト近くの町の住人たちが城に乗り込もうとし、エドワードとジムの対決のあたりはカメラワークまで似ているような気がする。
もちろん「シザーハンズ」の方が1年早いわけで、ディズニーがパクったのだろうか?
映画としてはかなりむちゃくちゃな設定なのだが、ファンタジーなのでそこは大目に見るとして、若き日のジョニー・デップの寡黙な演技が素晴らしい。
ティム・バートンらしい色彩へのこだわりも随所に感じる。
ただ…ラストはあれでいいのだろうか、と思った
スタニスワフ・レム 宇宙飛行士ピルクス物語
2005-04-13-Wed-21:46

レムの作品にはいくつかのシリーズ物がある。コメディタッチの泰平ヨン様…様はいらないか…シリーズに対して、シリアスなのがこのピルクス物で、短編10本をすべて収録したのがこの本。
冒頭「テスト」ではまだ訓練生のピルクスが学校の試験飛行に臨むが思わぬ邪魔者、ハエが宇宙船に忍び込んでいて危機に陥るとか、
「アルバトロス号」では豪華客船の事故に遭遇して手も足も出せないむなしさを感じたり、とか
映画化もされた「審問」では人造人間と人間の違いを見分けるためにぎりぎりの判断を要求されたりとか、さすがにレムらしい哲学的な視点も交えて宇宙飛行士ピルクスのエピソードをつづって行く。
中でも私が好きなのは「狩り」というエピソードで、これは月に隕石が落ち、その衝撃で暴走し攻撃的になって逃亡した、採掘用レーザー砲装備のロボット「セタウル」を、ちょうど月に居合わせたピルクスが追うという物語なのだが、ここで描かれる月面のリアルさはほかに例がないほど恐ろしく、美しい。
月面は大気がないので日が当たってない部分は真っ黒で何も見えず、逆に日が当たる部分はぎらぎら輝いている。この中で目視でロボットを捜すのは極めて難しいはずだし、レーザービームはアニメとは違って光の筋のようにに見えたりはしない。だがどんなアニメも映画もそんなことをリアルに描いたりはしない。レムの独壇場である。
そしてセタウルの、なんとも人間的な死に胸をうたれる。
ちなみにこれも現在絶版で入手困難。
名もなきアフリカの地で
2005-04-10-Sun-22:49

Nowhere in Africa
2001年 独
カロリーヌ・リンク監督
ユリアーネ・ケーラー
メラーブ・ミニッゼ
久しぶりに映画を見た(TVで、だけど)
第2次大戦前夜、ナチスの台頭するドイツから夫ヴァルターの働くケニアの農場に娘レギーナをつれて逃れたイエッテル。しかし彼女はアフリカの生活になじめず悩む。一方レギーナは現地人で料理人のオウアと打ち解けてアフリカ暮らしになじんでいく。
しかしヨーロッパ情勢は日増しに悪くなり、ドイツ国籍の一家は収容所へ…
オウア役のシデーデ・オンユーロがすごくいい味出しているし(ついでにあのバカっぽい犬も!)、レギーナ役の二人の子役もいい。レギーナが成長すると途中で子役が交代するのだが、交替したのにすぐには気がつかないほどよく似た子役をよく見つけてきたものだ。
だが肝心のストーリーがどうも煮え切らない。アフリカの生活になじめなかったイエッテルが、なじんでしまうと戦争は終わったのにドイツに帰らないと言い張る。浮気が原因?と見てる者もヴァルターと一緒に勘ぐってしまう。結果、言ってしまえば「戦争が原因で引き起こされる夫婦の危機の物語」に終わってしまっている。
単純に「レギーナのアフリカ生活」の映画にした方が陳腐かもしれないが記憶に残る作品になったかも。
ストルガツキー 滅びの都
2005-04-07-Thu-17:17

ストルガツキーの全作品中、最大の問題作。
共産主義社会を強烈に批判した内容のせいで、作者自身がこの作品を発表する事の危険性を理解していたため、ペレストロイカ後まで出版されなかった。このへんの事情は「そろそろ登れカタツムリ」と似ている。
はっきり言ってSF的な要素は非常に少ない。SFと言えるかどうかは読み手の取り方次第である。
作品は、おそらくは地球外の謎の都市(太陽が電球のように点いたり消えたりする、という記述で私はラリー・ニーブンの「リングワールド」を連想したが、スペース・コロニーのようなものか?)を舞台に共産主義の「実験」が行われている。そこでは社会に義務を果たす必要が当然あって、職業も数ヶ月ごとに配置換えされ政府職員だったり警察官だったりごみ収集員だったり何でもこなさなければならない。
ここに住むアンドレイはヒヒの襲撃を受けたり、幽霊屋敷「赤い館」でレーニンの亡霊とチェスを指さなければならなかったり、クーデターに加担したりするのがドタバタ調で描かれるが、いずれも「実験」の範疇とされている。間抜けなコミュニストのアンドレイははじめは妄信的に「実験」を支持しているが徐々に不条理を感じはじめる。
やがて「アンチ都市」と呼ばれる未確認の地域の調査に向かったアンドレイは、そこで「実験」の第1段階の終了を知る、という物語。
昨夜紹介したゴールの「クムビ」が共産主義のユートピアを描いた作品だったのと正反対で、作者は共産主義のすべての悪しき面を描き出すのに腐心したのではないかとも思うほどの作品である。
ところが70年代のソビエトで書かれたこの作品は驚くほど現代的である。
硬直して融通が利かず、自分たちの取り前だけが心配なお偉いがた。危機に対しても何の対応も取れない政府。社会に対する不満を胸に抱えながら長いものには巻かれろとばかりの覇気のない民衆…
…これは1970年代のソビエト?…それとも2005年の日本なのか…?
全体主義国家ソビエトと対照的なはずの自由社会ニッポンの問題点が同じなのはなぜなのか?
そして全体主義の呪縛を乗り越えたアンドレイはどこへ…? 別の次元(別の体制の下)で同じ問題に直面するのか…?
恐ろしい作品である
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ゲンナジー・ゴール クムビ
2005-04-07-Thu-00:17

ストルガツキーの「神様はつらい」を読むために買った1970年発売の「世界SF全集」第24巻の巻頭に収録されていた中篇。
ゲンナジー・ゴールはソビエトの作家で、特にSF作家というわけではなく、SFも書いたというくらいの作家らしい。
「クムビ」というこの作品は、認識に対する哲学的な思索を平明な文章でノスタルジックに描いた傑作である。謎の地球外生命だったウアザ人がいきなり出現してあっさりファーストコンタクトしてしまうあたり、ストーリー自体はかなりある意味強引であるが、この小説の独特の味わいは心に残る。
文章自体の美しさは名訳者・飯田規和氏の手腕によるところも大きいかもしれない。そのSF離れした不思議なやわらかい色合いの文章が印象的。
この小説は共産主義の理想を描いたユートピア小説でもある。人類ばかりかウアザ人まで「資源を浪費する資本主義を脱却して」共産主義の理想社会を打ち立てている。もちろんその世界の人々は社会に対し義務を果たさなければならないのだが、そこに描かれる社会は極めて平和で一種の理想郷である事は間違いない。
この作品(1963年)の数年後にはストルガツキーがソビエトの官僚社会の硬直ぶりを批判した「そろそろ登れカタツムリ」を書いている。
楽園の崩壊はSF作家たちの考えるよりもずっと早かった、ということだろうか
チューリップ祭り
2005-04-04-Mon-23:35
ストルガツキー 神様はつらい
2005-04-02-Sat-00:59

早川書房「世界SF全集」第24巻収録。1970年発売。
アントンはコミューン(=コムコン?)員としてこの惑星のアルカナル王国に派遣されている。
アルカナル王国ではドン・レエバという男がクーデターをたくらみ、この国の知識人を計画的に粛清している。
アントンはドン・ルマータを名乗り、ドン・レエバの魔の手から医師ブダフを救おうとするが…
ストーリーは「収容所惑星」に似ている。コミューン(=コムコン?)は発展途上の惑星を裏から支え、表立っての活動を許さない。実際にそこで活動するアントンは、実は絶大なパワーを持っているにもかかわらず、虐殺や略奪を目の当たりにしても自分の思ったように行動する事は許されず、耐えなければならない。
耐えずに行動してしまったのが「収容所惑星」のマクシムだったわけである。
そして悲劇的な幕切れで、重い読後感を残す作品である。
さて、アントンたちのセリフで自分たちのことを「コミューン員」と呼ぶのだが、これは「蟻塚の中のかぶと虫」「波が風を消す」の「コムコン職員」と同じようである。(訳者が違うので言い回しが違うのか?)
だとすると「神様はつらい」とマクシム三部作は同じ世界であるということになる。更にゼロ転送という共通の技術でつながる「ラドガ壊滅」、「地獄から来た青年」(これは更にコルネイ・ヤノーヴィッチ・ヤシマアという人物でも「蟻塚…」とつながる)。
この6作は同じ世界のエピソードであることに気がついた。これについてはもう少し検証してみたいと思う。
ちなみにこの「世界SF全集」第24巻にはこの他にソビエトの別のSF作家の作品も収録されている。特にゲンナジー・ゴールの「クムビ」はなかなかの佳作なので近日レビュー予定




